SPACシアター・スクール「オフェーリアと影の一座」について

芸術作品から「作為」を無くすことはできるか。
そんな挑戦がSPACシアタースクールである。

名俳優は、その経験と技術で、見事に役を演じる。
もちろん、名俳優には、卓越した演技力があり、人々はそれに魅了される。
感動さえする。

しかし、私は映画「Perfect Days」を観てから、映画を観れないでいる。
この映画が、作為を全く感じさせない純粋無垢な作品だったからである。

それと同じく全く「作為」が排された作品が、「オフェーリアと影の一座」だった。
ラスコーの壁画からピカソの作品へと、美術史を超越したような感覚を覚えた。

私の詩は「オフェーリアと影の一座」の観劇後、大きく変わった。
どうすれば、「作為」を排することができるかが、私の最も大きな課題となった。

大人は、世間のしがらみから、全く解放されることは難しい。でも、「作為」を排したいと願うことは、詩を一歩前に進めることにつながるのではないだろうか。

これからも、純粋な心で、詩を書き綴っていきたい。

詩人 たいいりょう


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