学歴が揺るぎない説得力になると感じた話し
娘が上智大学に進学することが
きまって私の身内の動きや心情が
すこし変化したように思えました
ある意味私が望む状況にすこし
なれたかもしれないです
ただ離れてしまっている今
となってはどうでも良いこと
でもありますが・・・
1つ思えることは学歴は
やっぱりわかりやすい形で
説得ができる方法の1つ
かもしれないということです
まだ日本の中ではゆるぎない
がんばった証拠になるのかな?
という印象です
特にいま、時代が変化している
ことで子供の成績がたまたま
よかった・・・というレベルでは
難関大学には合格できないという
ことを子供を持つ親ならわかって
いるからです
私の親の世代では、子供の勉強が
できるんだね〜で済みますが、
今の受験は子供が少ない分、戦略と
対策が必要です
少し勉強が得意レベルならMARCH
どまりです
世の中が最低でもMARCH
MARCHくらいは行きたい・・・
というのが、元々の勉強ができていても
実際にMARCH以下は評価されにくい
という現実もあるからだろうな・・・
とも思えます
私の実家は長兄が慶応だったため
MARCHですらレベルの低い大学だと
母親が思い込んでいました
というのも、長兄が青学の試験は
簡単だった・・・といったから
です
私も先日赤本を見てその意味を
理解できましたけど・・・
ただ、それから35年以上のときが
たっていますからね。
青学はすでに難関大学ということを
未だ母は知らずです
母親の価値観は変えることは
当然できませんが、どうやら
長兄を含む他の親族の印象が
かわってきたようにも思えました
実際私が直接会話したわけでは
ないのですが、娘伝いになんとなく
そういった印象を持ちました
というのも、私の実家、地元という
のは田舎ならではの学歴主義です
私の周囲は特に・・・だと
思います
私は田舎を離れて何年も経つので
価値観がかなり変わっているみたい
ではあります
上智大学へ合格することももちろん
すごいとは思いますが、慶応は落ちました
し、上には上がいて、大学合格は
まだまだ通過地点だな・・・と
感じます
以前は大学は最終学歴!とも思いましたが
学歴としては一般的には最終でも
学問の学び方がこれから大切に
なってくるな・・・とも思います
東京の人でも偏差値しか見ずに
受験していた人は考えに偏りが
あるとも思います
先日、他愛のない会話で上智と慶応
の偏差値だけの差なんて公表では
3〜5くらいだしね。
という話しをしました
めちゃくちゃビックリされた
覚えがあります
その僅差で慶応は受からない
ものなのか・・・といって
いました
そうですよ
1だって受かりませんといい
ました
足らないというのは1であって
も10であってもたらない
んですって話しです
そのクラスの偏差値を1上げる
ということは膨大な時間数を
必要とします
ただ勉強するだけではなくて
解釈を変えるなどの価値観を
変えていく必要もありますから
ね
時間がめちゃくちゃかかる
わけです
つまりこの価値観を変える作業
が早い人は比較的早く一問一答
の世界から離れることができます
基本的にはそこを引き離す作業は
親がやることかもな・・・
という印象が受験を終えて私が
感じた結論です
たぶん、受験を終えるとわかる
のですが、渦中ではなかなか
理解できずにズルズルと一問一答
の世界観に執着していくのです
長兄の家族は娘たちがすでに
就職をしていて、受験を経験
しているので、上智大学に行く
ということが簡単ではない
ということがじわじわ理解
できているのかな?
という印象を受けています
今まで私の実家はなぜか
母親のいうことが絶対権力の
ように兄たちは従っていました
そんな母は私をバカにする
ことが大好きなので気分次第で
バカにしてきたと感じます
*本人に自覚は当然ありません
私が仕事でどんなに成果を上げて
も私はバカにされ続けてきました
ただ、なぜか娘が上智大学に
入ったことで、どうやら私が
母親のいうようなバカな人間
ではない・・・ということに
周囲が気が付き始めたようでした
私にとっては今更どうでも
いいことではありますが
確かに娘が上智に入ったら
家族の反応が変わるものなのかな?
と考えたこともありましたが、
ようやく、母親の価値観だけの
話しだと気づけるようになった
かな?という印象をうけました
もちろん定かではないですが
人を変えたり、説得する
ということはなかなかできない
ものではありますが、たかだか
学歴、されど学歴という形で
人間性を見直させるための
説得力にもなるものなのか・・・
と改めて学歴がもたらす影響力
の強さを感じる今日このごろ・・・