自分語り
19年前、長男の家族に長男が産まれた。
大阪在住の人ばかりの家系であるが、家族で関東に住んでいる為、あまり大阪には行かない。遠い。金がたらふくあっても多分そんなには行かない。
もう一つ理由がある、跡継ぎを完全に放棄した形になったからだ。僕は大阪に住みたくないというのが大きいが。
家族のことを書くのは考えものだが、端的に言うと全員が暴力的。
小5の頃までは金持ちと言われる存在だった。いや、自由に使える金があったくらいか。厳密に言えば、何の躊躇いもなく野球を見に行ったり、所謂ラッシュ時に、指定席のチケットが取れなければ小学生には広すぎるグリーン車で移動したり、くらいだが。
ゴディバでバイトしていた僕の姉は美大に行き、奨学金を借りることなく卒業した。
他方、勉強ができず、ガキのくせに可愛げがなく、跡取りを期待された息子は、散々期待を裏切る羽目となる。その辺りから、険悪な雰囲気が漂っていた。
「ケーキの切れない非行少年たち」がベストセラーになったらしい。読んだことはないが、タイトルでに共感する。
僕はホールケーキが切れない。靴紐すらまともに結べない。鼻水をカーテンにすする…。偏差値どうこうとか以前の話だ。
本を読めないのだ。いや、読めない訳ではないのか?
保育園に行っていた頃から、お気に入りのエッセイがあり、大学生になった今でも未だに読んでいる。
しかし、全くもって所謂ベストセラーなど、字の羅列に興奮することがない。学校の知人が書いた作品を読むのは好きで、あくまで本が嫌いなだけかもしれない。絵や写真や映画でも同じかもしれないが…。
家族間、色々トラブルが起こる。そして前触れのなく高い家賃を払うことはできなくなった。収入が減る。家賃が払えなくなる。ライフスタイルの変化を迫られる。慣れ親しんだ板橋区常盤台の低層階のマンションから片田舎の街、寂れた家に引っ越すことになる。
小学校は、少子化のせいか分からないが、1クラスしかなかった。6年間クラス替えもなかった。苦手な先生は多かったが、そのぶん優しい先生もいた。
他クラスを見るということができないので何とも言えないのだが、比較的仲のいいクラスであったと思う。僕がまぁまぁバカだったが、その分他の生徒がカバーしてくれた。カンニングを毎回していた。普通に覗く。犯罪ではないからいいだろう。隣の子には恐らくバレていただろうが、教師にバレた覚えはない。いや、バレていてもお情けで見逃しているだけか?
0点というのはのび太くんでなくても起こり得る。0点というのはフィクションに近いような気がするが、そんなこともないのだ。社会以外は自分の実力のみで勝負するならば0点だったかもしれない。最初から100点などは狙わず、全問合ってたら疑われるだろうと踏み、数問のみカンニングさせてもらうのだ。どんなテストでもなんとか数問だけは取るのだが(他力本願で)、0点を実際何回か出してしまっている。
時々0点を出す度にひたすら号泣しまくった覚えがある。親に見せるのが怖いとか、バカにされるとかではなく単に自分は1点すらないんだ、1点の人間ですらないんだ、と思い、その時本気で全て終わらせようと思い、帰り道の横断歩道を何度も何度も飛び出そうか悩んだ。今思えばくだらないことか、と言われたらそうは思えない。未だにトラウマになる。
なぜか校庭が人工芝であったことや、好きだった女の子の家がまぁまぁ信じられないレベルで斜めっていたことを除けば、ごく普通の小学校。何か揉め事が度々起きかけても、ほとぼりがすぐ冷めていた。
放課後は、クラスメイトと公園に行っていた。体操など、何かしら習っていたがすぐに辞めた。
公園に行くのが物凄く嫌だった覚えがある。男の子が嫌いだった時期があり、何を話していいか分からないような思い出があった。何故か毎日野球の守備練を行っていた。
唯一の楽しみはイオンに行くことだった。
そんなに何かがあったかと言われたら微妙なところだが、3階の校舎から景色を見ると、ちょっと嫌なことを考えてしまうようにはなった。
自由な校風の中高一貫校の進学を自分が決めた。地元の板橋区からは結構離れている。テストのない学校。
テストが嫌いかと言われたら別に嫌いではない。不必要だとも思わない。ただ、点数が取れないことを恐れた。0点のテストさえなければ、確実に行っていない。
別に中高時代がそんな楽しかったと言われると鬱陶しいことがあったり微妙なところがあるが、日曜日が終わりそうだからと言って嫌な気持ちにならず過ごせた学校だった。友人だとお互いが思えるかは正直なところ分からないが、面白い人がいた。面白い授業があった。恩師もいる。
髭がマスクで隠され、服装がタイプで、生徒の意見をあまり聞けなくて、活字が読めず、ノートが取れないけど、単調な話をトーンと間合いでなんとか形に持って行ってしまう大人や、依怙贔屓の塊で、どうしようもなく頑固で、キレ性で、ごめんが言えなくて、正直ビビっていたが、心根はちょっとだけ優しい大人がいた。
大学への進学を自分が決めた。山勘で。明らかに勧められていなかったのが気がかりだった。
その意見は的中し(かけ)ている今となってはその分野に興味があると思えない。
大学は、小学校の頃住んでいた常盤台が結構近くなった。戻ろうと思えばすぐに戻れるが、あえて戻るほど常盤台に何か特別な思いはない。
今となっては別にどんな大学でも良かったのかもしれないし、どんな学科でも良かったのかもしれない。したいこともやりたいことも見つからないのなら、せめて楽しそうな学科の方が良かったのだろう、と思う。
朝起きる度に、何でこの決断を下してしまったのか、と思う。
今まで色々な試練から逃れ続けてきた。その度に、やり過ごしてきた。
受験戦争に巻き込まれることもなく、ブラック部活に入ることもなくこれまで暮らしてきた。
ご馳走こそ食べないが、食う物に困ったことはない。
小学校時代、自転車同士ぶつかり、僕のみが骨折したことがある。相手がクラスメイトの母親だった。他人だったら非常に面倒なことになっていただろう。
腎臓がやられていた時期があったが、今は異常がない。
何も勉強していないけれど、大学に受かっている、わざわざLINEをしてくれた教師がいる。
高2で始めたファミマのバイトを幾度となくミスをしても未だに続けさせてもらっている。
未だに連絡がつく知り合いがいる。
バイトを始め、ちょっとだけ好きな服を買えるようになった。
毎日を過ごすことを止めたくなる瞬間と隣り合わせである。それはじわりじわりと進んできている。
いや、常に側にあるような感覚。何か特別嫌なことがあった訳ではないけど、何か嫌だ、というモヤモヤが段々と形に変わってくる。なんとかやり過ごしていたが、それは少しずつ姿を見せてくる。ここ1ヶ月で顕著になった。夜寝れなくなった。肌が荒れ、やけ食い体重が増え、毛が抜ける(男性ホルモンの関係らしいが)
お笑いは大好きだが、元々あまり笑えない。高校の人に何人か、神懸かっているのではないかと言うくらい面白さを兼ね備えた人がいた。未だに思い出して笑ってしまう。
ツボに入るとずっと笑ってしまうのだが、先輩がグラタンを作るのを失敗したとか何とか、寝落ち電話を家族に聞かれていたとかどうしようもなくクソつまらない話に手を叩いて笑ったり、嘘笑いばかり増え、お笑いを見てもあまり笑えなくなった。
生でニッポンの社長を見て笑えないなど、異常である。
滝音の漫才で笑ったっきり、笑えていない。
1年の中で楽しい日がある。M-1の日、キングオブコントの準決勝に行った日、あの時のニッポンの社長と最高の人間は神が取り憑いていたから忘れる訳がない。あとは特別な人と会う日、など。
しかし、それ以外の日は何か辛さを感じていた。それが他人のせいかと言われると大半がそうではない。自分の蒔いた種で自分が苦しんでいるだけで。
悩みに優劣はないと誰かが言っていたが、多分ある。
僕の悩みは概ね全て自分の責任。
考えてはいけないことが脳裏に浮かぶようになる。
言ってはいけないことを言ってしまう。
やらない方がいいことをやってしまう。
言ってはいけない、思う方がいけない。分かってはいるが、大学で知り合った人たちは見えない何かに包まれている。もっと言うと大学全体が言い表しようのない「アレ」(岡田監督の言い回しの如く)に包まれている。見れば分かるし、行けばわかると思う。とかなんとか言いつつ、僕の知人にはこの大学を勧めたいと思う。何故かは分からないが、向いている人が一定数いると思うのだ。「アレ」が好きな人は好きなのだ。その「アレ」が僕には全く耐えられないけれど。いくらなんでも「アレ」すぎる。
厨二病や5月病と言われるものに近いのか?と言われたら首を横に振りたい。恐らく変わらない。万年である。
俺が悪いだけに、所詮何にもなれないのだ。
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