京都・圧巻の千体千手観音【三十三間堂】
千体の千手観音像は圧巻。皆が口を揃えて圧巻と表現する光景を現場でみたくて訪れた。
いやー、衝撃的な絶景をいっぱい見てきて目が肥えつつあると思ってたけど、こんな規模の仏像を生でみたらスタンさせられる。
ちなみに本堂の内部は撮影禁止。千手観音像の写真はポスターの写真を引き伸ばしたイメージ。
等身大より少し大きいくらいの千体の千手観音。前列に二十八部衆、左右の端には風神雷神、中央に千手観音坐像が配置。
今は全ての仏像が国宝。ぜひ現地へ赴き参拝料を払って実物を見てもらいたい。
京都に見所多しといえど、ここは特殊。時間が経っても忘れない。
長寛二年(1164)に後白河上皇が平清盛に命じ、清盛の寄進で三十三間堂は建立された。
仏教では3の倍数は無限を表すらしい。霊場三十三ヶ所等よく使われる数で、34本の柱を立てその柱の間の数を33にしたのが三十三間堂の名称の由来らしい。
千手観音は百二十四体が平安時代に、残りは鎌倉時代に造られたといわれる。
建長元年(1249)に火事で焼け落ち千体のうち百二十四体が救出され、失われた観音像八百七十六体の復興が求められ、奈良・京都の仏師集団150人が総動員で造像に関わる一大事業となった。千体から千一体になったのは室町時代。
約五百体には作者名が残されていて、一体一体手彫りで顔が違う。
数百年も前に、昔の僧侶たちが仏像を一体一体手彫りしていたと思うと、国宝に指定されて当然。なんだと思ったけど千手観音たちが国宝に指定されたのは2018年。つい最近のこと。
安置されている本堂は日本一長い歴史的木造建築と言われていて、装飾は少ないが圧倒的な存在感で、本堂の建物も国宝に指定されている。
室町時代に六代将軍の足利義教、桃山時代に豊臣秀吉が本堂や仏像の修復を行なったらしい。
東山区の天台宗の妙法院の飛地の扱いで、妙法院が所有、管理をしている。三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂。
「蓮華王」は千手観音の呼び名らしいが、詳しく調べてみようとググってみると上位にヒットしてくるのは、ほぼ三十三間堂。
千手っていうけど手の数は四十。その四十と千の説明はよく分からんからパス。四十でも十分に個性的で存在感がある。
三十三間堂の拝観の時間の目安は、本堂内部だけなら三十分。外周一周するとプラス十分は見ておきたいが、時間に余裕がなければ外周をまわる必要はないと思う。
庭は綺麗にされてるが、庭に関しては京都には傑出した庭園を持つ寺はたくさんあるっちゃある。
東山区の寺院だけど、JR京都駅から徒歩十五分ほどの都心部にあり、清水寺と京都駅の間くらいに位置する。
第1回 2021.8.10 【日帰り】☀️🥵
建仁寺→八坂神社→高台寺→清水寺→三十三間堂