2024.5.25

金曜日は諦めの風がひゅーと吹く。
わたしはカフェで、ふと気になって過去のiPhoneの写真ファルダを見ていたのだった。
なんだか学生の自分の感情が蘇るようなキリキリと不快に触れたくない気持ちとふわふわと幸福な気持ちがせめぎ合って時間を忘れていた。

滑らかな微風が体を包む。煩悩を溶かしていく。
カラカラと回る風車の音だけが聞こえる。
地面についた靴底とテーブルにおいた腕が
フワッと浮いて、体が前に乗り出す。
「いっちゃうか。」
今日の何かを今諦めた感覚がある。

追加注文をしようと立ち上がった。
いつも絶対に食べ物は食べないと決めている店で
チーズケーキとコーヒーを追加注文したい衝動に駆られる。
あれれ。お金あるの?
金欠という言葉の塊を土の中に埋めた。

滑らかに時間は流れる。

足元のゴミを箒ではいている店員さん。
パッとスマホの時計に目をやると、
9:55。閉店5分前。
この店はもう出ていかなきゃいけない。

外を歩いて公園に来た。過ごしやすい気候。

昔のインスタグラムを見てると、
昔の友達がどうしてるかなと気になってくる。

この状況での「どうしてるかな」というのは、
今から他人のSNSを物色する上で
自分のメンツを立たせる、綺麗なお化粧をした無粋な言葉で、
本当は懐かしむ気持ちなどは限りなく少なく
不幸であればなおよく、
幸せはさほど期待していなく、
性欲的であればなおよく、
刺激的であって
ゲリライベントガチャのようなことをしている。
感覚に近い。おそらく。

やはりSNSは向いてない気がするが、
逆に思ったことを何も考えずに、
発言していったら面白いことになるかな。
ちょっとやってみようかな。
と思い、軽快にスマホに文字をフリックしている。

容姿の可愛い女の子を
ドキドキコーフンしたくて、
無意識にインスタで見ていた。

私が大学卒業後、新卒で普通に建築系の会社に就職したての頃、その入社説明会の時に同じテーブルだったことが理由で、その後飲み会に行くことになった男子3人女子は2人。
女子はオモシロサバサバ系理系すっぴん風女子とモダン建築ローカルスローライフ系美人がいて、男3人はローカルスローライフ系美人の連絡先を欲しいがばかりに鼻息を荒くしていた。

きっと親譲りの
穏やかで内気そうな理系の男は、
大学で体育会系の空手部だった営業職の男に、
童貞キャラを決めつけられ、
その飲み会の経験値の少なさ故に
開始5分でゲームセットした。
きっと親も同じことを経験してる。

自分の大学時代ってどんなだっけということが気になり、写真フォルダを見返していたら
その時の飲み会の写真が目に入り、
ローカルスローライフ系美人の
(飲み会以外一言も喋ってないのに)インスタのアカウントを一生懸命になって調べた。
もし、高校の時エゴサーチの部活があれば入りたかった。


彼女は、好きなアーティストは?と聞かれたら、
never young beachかなって多分言ってた、きっと言っていた、筆談を見た。
その彼女のインスタグラムは結局見つからなかった。

インスタを辞めてしまったのだろうか。
もしくは、
会社ももう辞めているだろうか。
・・・
結婚したかった。
本気出せば結婚できたんじゃないだろうか。
私は思い込みが激しい
わたしは少しナルシストなところがある

ちぇ

インスタグラムで女子を見ると、
都合の良い妄想にふけて、
一時的な快楽を得ることができる

夏はノースリーブの季節だと思っているぐらい
わたしはむっつりすけべだ。
高校の時女子ノースリー部があれば、男子マネージャーとして雑用していたかった。
なんで部活って全部難しいんだろう。
着たい服を着るだけの部活があっても良いだろうに。
話がそれた。

もう自分に嘘をつく気はない。

人見知りで内気で消極的だった私は、
小学校の頃から女子と話すのが苦手で、というか、
人と話すのが苦手で、
誰と接するにもおどけて、
いつもボーっとして何を考えているんだお前はと、
小学生相手にサッカーで本気を出すほど
心と心でぶつかってくれるような
(後に不倫で首になっていた)
パワフルで大人気ない若い体育の先生にいじられて、
小学生の繊細なざらついた心を撫でられて、その起伏をバレないようにヘラヘラ笑っていた私は
自分に不利益がないために、
同級生の男に対しては、冗談を言うか服従するかで

言う必要の感じない本心を隠して、必然的にその場しのぎになる小技の連続をコミュニティに落とし込むことに快楽を感じていた。そして一部でのみ有効なアイデンティティと無感情と言われる空気のような人間性を6年生までで築いていた。

だから中学に上がる頃の僕は、話したいとかそう言う問題ではなく、恥ずかしながらその術を知らず
同級生の女子は何を話していいのか分からなかった。

そもそも人が怖いから
だけれども、その自分が
まともに生きていくために、
自立して生きていく
手段として、それがそこにあったと言うか、
自分の価値観だったからか、
道化を使っていた。

道化に依存して、さらにそこに無限の時間を信じて1人興奮していた僕は、女子と話す理由のなさに戸惑いつつ、
布団の中で杉原杏璃のグラビアを見ていた。

テーマがない僕は、
女子と何を話していいか分からない。

なのでわたしにとっての、
女子の感情の大部分は私が創る妄想や幻惑である。

彼女はあの飲み会の時に、なんとなくだけど、
僕に少し気がありそうなサインを送っていた。
と当時の僕は決めつけていた。
今思えば自惚れだ。

やっぱり、それで良いのである。
隣の芝生は青い。
昔のわたしは面白いと思う。
今のわたしも私は面白いと思う。


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