トリガー


朝、問題発言をした人物の新聞記事を主人に伝えた。
その発言に対して「言っていいことと悪いことの区別を知らない」
という声もあわせて。

この後に私が語気荒く、ある人物の過去の言動を持ち出したのが、気に入らなかったらしい。
「同じことを○○さんが言ったらそんな風に言わないだろう」
「△△さんのことになると批判する」と珍しく強く反論してきた。

前にも△△さんのことを言ったのを覚えていて、ウンザリしたのかもしれない。
ただ私にも言い分はある。
△△さんは思ったことをすぐに口にする人。
今まで言われて嫌だったことは数かぎりなくある。

子どもがその人の家に行ったとき
ガムが歯に挟まったかなにかしたとき口の中をみて
「虫歯多いね」

雨で固定電話の電気系統が故障したことを知ったとき
「しょっちゅうだよね」

仲間内で子連れでカラオケボックスに行ったとき
私が会計の計算をしているのもかまわずに、自分の支払いをと
うるさい
状況を考えて少し待っていられないのか
しかもカラオケボックスに来たにも関わらず、一曲も歌わない。

当時宅配便を利用していた私に「○○(商品名)を頼んで」といい
「配達料はいらないよね」だって

同学年で同性の子どもがいるから。
近所だから。
と性格もありグッと自分を抑えて合わせてきたけど
もう関係ない。

あれから長い年月を経て子どもも成人した。
変わらず近所に住んではいるが、幸いあまり会うことはない。
生活パターンが違うのだろう。

ある日その人物に会ったからあいさつだけはした。
すると何を思ったのか?
「○○(商業施設名)に行った?」と聞いてきた。
私は特に意識したわけではないが反射的に「違う」と返した。

そんなつもりはなかったが、キツイ口調になっていたのかもしれない。
それ以来たまに会うことがあってもどこかよそよそしい。
会ってしまったからには一応あいさつだけはするが

もし「私何かした?」って言われたら
「ええ、いっぱい」と言ってやりたいと密かに思っているが
そんな日が訪れることはないだろう。

若かりし日の自分を振り返ると取り消したい言動はたくさんある。
同じ人生をやり直すのは絶対に嫌だが、もう一度過去に戻ることができたら
もう少し上手くできたと確実に言うことができる。

今思うことは、人生でさまざまなことにおいて苦労してきたからこそ
少しは人の痛みがわかる。
本を読んだり拙いながらも文章を書いているからこそ、気付くことができる。
それが時に転ばぬ先の杖となってくれている。
言葉を発するときは一旦考えてからとは思っているが

「言っていいことと悪いことの区別を知らない」
この一文がトリガーになったのだろう。
目にした瞬間、私の脳裏に過去が蘇った。
自分の中で未消化な思いが燻り続けているかぎり、何かのキッカケで爆発する。

書くことで少しでも昇華へとつながると信じて。











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