見出し画像

占いは全部見る、内省のツール

「あの時、これを決心しておいて良かった」
と思える人生を送る事。


フランチェスカ・レオーネ・モリモト|note

フランチェスカ・レオーネ・モリモト様のこと

この方のnote記事を見つけたのは、一年くらい前かしら。
とてもとても興味深くて、読める過去記事を、全部読みました(別名義の別サイトブログも全部)。
一読でなく、読み返したりもしています。
それでも足りなくて、間もなく有料記事にまで手を出しました(現在、遡って購読中)。

有料記事は主に音声配信なので、一回目の聴講はちゃんとメモを取りながら。
その後は、ラジオのお気に入り番組のように、生活のあちこちで流しています。

何より、まず、お声が素敵すぎます♡
そして、決して押しつけがましくない口調、なのに大切な事はちゃんと伝わってくる楽しいおしゃべりと、
「あっそうか! 言われてみれば確かに!」的な大切な気づきを得られて、非常に勉強にもなるというお話の内容も相まって、
ギスギスした日常生活に消耗しがちな心が、癒されます。

いえ、“癒される”じゃなかった。
“自分で自分を癒す”方法を、教えてもらえます。
ぜひ皆様に、聞いてみてほしいと思います。

スピリチュアルに抵抗のある方、お気持ちは分かりますが、一瞥で踵を返すのは、ちょっともったいないかなーと思います。
高次の存在が信じられなくとも、言っている事は至極もっともです。

皆がそれぞれの個性を生かして生きていく事が、幸せな世界に繋がっていくという事。
自分を尊重することが、他者を尊重することでもある事。
自分の今の気持ちをちゃんと知る事、認める事。
どうしてその感情が起こるのかを考える事……。

私の占い観・占いリテラシー

私は、決して楽ではなかった人生に悩み、十年以上、独学で占いを勉強してきました。
そして至った境地が、『全部やる』。
どのタイミングで何をどうやるのが“正解”か、星回りや、巡る運勢で完全に全部“決まって”いるなんて、おかしい。
(フランチェスカ先生も、自分がしたことが自分に返ってくる法則の方が、占星術的な流れよりも強い、とおっしゃっています)

だって、どの占いも、生きていく上でどうしても起こる悩みを乗り越えるために、考え出された物のはずでしょう。
これこそが“運勢”と言われる、四柱推命の十二運も九星気学の九星の巡りも西洋占星術のハウスも。
本来なら“運勢”とは違う、四柱推命の通変星も十干も西洋占星術の星座も天体も、よく見れば全部、人生を生きていくのに必要な能力であり要素であり、それを身に着けていく成長プロセスを表しています
タロットカードだってそう。
そのわずか一部だけが自分に必要な事……なわけがない!

「だからって、全部の占いを自分で勉強した上に、他の占い師の解説も読んで、しかも自分の該当項目以外も全部見るなんて、訳わかんなくなるじゃなーい!」
そう、だから、その中から今の自分に必要な事を選択できる『直感』を鍛える必要がある、と私は思っています。
自分のエゴが聞きたくない事柄を切り捨ててしまわないよう、普段の自分とは違う視点を取り入れたり、見方を変えられる、価値観の柔軟性を普段から養い続けておくとともに。

そこで。
冒頭でご紹介したフランチェスカ先生(勝手に先生と呼ばせていただいています。汗)のお話に戻るわけです。
やり方を真似させていただけば、誰でも簡単に、エゴと区別した『直感』を鍛える事ができます。

その結果、私に何が起こったのかは

直感を無視していたら、出会えなかった|八名木 遙子(ハルコ) (note.com)

この件は、本当に感謝しています。
フランチェスカ先生にはもちろん、皆様に。全てに。先生のお言葉を借りて言えば、宇宙に(? 笑)。


直感を無視していたら出会えなかった偶然の僥倖の話・二回目

ここからは、直感を無視していたら出会えなかった偶然の僥倖の話・二回目になります。
(本当は、小さい幸運話もいっぱいあるんですが、特に大きなものを。)
まだまだダメ生徒の私ですが、先生の最新記事で驚く事があったので、書いてみます。
興味を持って下さった方にお読みいただければ、幸いです。


フランチェスカ先生は、占い記事を作るにあたって、ご自身の事を
「これから起こる流れや、そこで必要になる気づきや学びを『先に体験させてもらってるなー』と思う」
と言っていらっしゃいます。

それって言い換えれば、
「あの時、これを決心しておいて良かった」
と思える人生を送っているって事でしょう!
スゴイ!
どうすればそんな境地になれるの!
私なんか、先生の過去記事を遡って読んで(聴いて)いると、数年以上前の星回りについての解説なのに、
「あっこれ、私、まだできてない……ぐぅ(刺さった呻き)」
と思ってばかりなのに。

素直に反省し、アドバイスを取り入れた日常生活を意識して送りますが、これが、なかなかに、楽しいのです。
今までと異なる価値観を取り入れた、新鮮な毎日。
それを、自分軸にどこまで、どのように溶かし込んでいくのか。それを自分と対話して決めていく充足感。
そうやって出来上がるであろう将来の自分の姿は、どんなふうにオリジナルな自分なのか、
想像するだけでワクワクします。

そうして、待ちきれないようにしてチェックする新着記事。
※引用させていただきつつ、感想を下に続けます。

今回は、2月後半の解説のはずなんですが、読み始めてすぐ、
あれ?
なんだか不思議な感じがしました。

『潜在意識にあったフラストレーション、(中略)この先に行こうと思ったら、もう見ないふりはできない、ツライ、キツイ思い、(中略)可視化されていなかった不満、抑圧していた思い、当人でさえそれがあると気づかないまま生きてきたネガティブな感情。(中略)どうしてこんなに哀しみが沸いてくるんだろうと』

……はい、12月末から1月、今月頭くらいまで、まさにそうでした。
どっぷりでした。
某所で親しくさせていただいていた人、これからもお付き合いを続けていきたいと思っていた人が、私に、哀しみの激情を起こさせるのです。
決して悪い人ではありません、対人関係のすれ違い問題でもありません。
完全に私の側の問題――その人が天真爛漫に「これが好き!」と生きている世界が、私にとっては、辛い記憶を思い出させるというだけの話です。

『ずっと水底にあって、水面に上がってくることは許されなかった深い悲しみ、自分の魂の輝きを表現する事ができない哀しみ(中略)が、とめどなくあふれる』

……そ、そうなんです。
ずっと、「楽しそうな他人にイラつくなんて、ひどい感情」と思って抑え込んできました。
だから私、思い切って、その、濁流を通り越して煮えたぎるマグマのように私の心を焼けただれさせる、哀しみの激情を認めて、自分に突き付けるために言語化、文章にしたんです。ついこの前。
そうして、
「あー、ツライ事は嘘じゃないけれど、悲劇のヒロインになりかけてるわ。て言うか、他から見たら、もう、なってるわ」
と自分で呆れ返ったんです。

『自己憐憫は、(中略)本当に自分を慈しんでいるわけではないし、本質的な解決はもたらしてくれない』

……はい、思いました。
自分で思った後なので、余計に刺さりました。ぐはっ(瀕死の叫び)。

ともかく、そんな私が、先月、根本的な解決を目指してとった行動……
ひたすらに自分の五感を幸せにしました。
そして、できる部分全ての感覚を満ち足りさせた状態で、胸の中に一つ残った感情について、
「この悲しみを手放して生きる人生は、いったいどんな感じなのだろう」
と思いながらお昼寝したんです。

夢を見ました。
楽器(ケース)を手に、家から出てきて、自分の車に乗り込んで行く私。
辛そうでも、悲しそうでもない。
特段うきうきしているわけでもない、すごーく“フツウ”の表情。

「そっか、(手放した)私、楽器やってるんだ」

そう、私の悲しみの記憶は、音楽関連なのです。
心的要因と思われる、身体的な問題が突発し、楽器から離れる事を余儀なくされたのです。
でももう、それから25年。
さすがに、もう、いいでしょ。
辛い経験も、“経験”そのものが豊かな事だとしても、十分、堪能しました。

ごちそうさまでした(笑)と、思いながら、まだどこか寝ぼけているような頭で、私は、気付いたらスマホ検索をしていました。
楽器の購入を。

じつは何年か前にも、トラウマと悲しみの記憶克服のために、思い切ろうと楽器の購入を考えた事がありました。
でも、選べなかったし、高かったし。
あれは、私の中に潜んでいた思いが、「選びたくない、選んだら買うことになるし、哀しみに向き合いたくない」と思っていたから、選べなかった、決心できなかったのだと思います。

検索の結果、
なんと、
すぐに、とても良い状態と破格の値段で楽器が見つかりました。
まずは中古からの再開で良い、と思っていた、イメージそのもの。
しかも、再開するならこれだな、と思い始めていたメーカーと型番。
出品者様も、すんごーく良い人でした。
何もかもがトントン拍子で進んで、購入に至りました。
あのタイミングで検索していなかったら、この良すぎる条件には、出会えていなかったことでしょう。

楽器が手に入った事とは別に、
この頃、同時に、私がそれまでいた世界、音楽とは別な表現方法で身を置いていた場所から、離れる事を決意していました。
集合無意識的な、そこはかとなく漂う空気感、その色が、どうしても私には合わなかった。自分を合わせられなかったのです。

それまでも、既に、籍だけ残して幽霊部員のようになっていましたので、黙っていなくなっても良かったかもしれません。
でも、お別れのご挨拶を宣言しました。
そうしたら、びっくりするほど色々な人から、私の感謝の気持ちが溢れてくるような素敵な言葉をたくさん、もらったのです。
少し行き違いがあったかな、と心配していた人からさえも。

そんな何もかもが、見えていたかのような、フランチェスカ先生のお言葉。

『自分の本当に欲している事、本当に望んでいる事、本当に思っている事を自覚する。そしてそれを表明する(中略)。それをする事によって、あなたが今までいた場所から出なきゃいけなくなる場合もあるでしょう。(中略)「希望がない」と感じる事や、そのような関係性を手放す事で、逆転が起きます。「フラストレーションだらけな生き方」から、「自分の魂が喜びを感じる、魂が満たされる生き方」に。』

ついに数日前、購入からまっすぐ楽器屋さんに点検&調整に出していた楽器が、戻って来ました。
25年ぶりに楽器に触れたら、泣いて精神不安定になったらどうしよう……というのも、杞憂でした。
めっちゃ“フツウ”でした。

『「被害者」の立ち位置を捨てて、魂が求めるとおりに行動を起こしていけば、それは可能になる』

……はい、その通りでした、フランチェスカ先生。
今回は、言われる前に、自分で気づいて、行動できてました。少しはマシな生徒になれたんでしょうか。
例えるなら、チンプンカンプンな科目の勉強で、復習すら必死になっていたはずが、授業で初めて、「あ、それって、こうなって、こう変わって、こう?」と思えた感じ(笑)。
これからも勝手についていきます。
よろしくお願いします。


ところで、
奇跡の偶然の、極めつけ。
フランチェスカ先生が今回、メッセージを受け取った相手というのが、“妖精”だそうなのですが……。
今、私、自分の心を前に進めるための物語、心が求める物語を書き進めようとしているのですが、これがちょうど、“妖精”がキーになっている物語なんです。

色んなシンクロに、肯定されているような気がして、勇気をもらっています。