わたしをつくった、絵本たち。
子どものころ、寝る前に絵本を一冊選んでいた。
大きな本棚に、ずらり並ぶ絵本。
そこから一冊、手に取って、寝室に向かう。
当時、「ぽるぷ出版」だったか、「福音館」だったか、絵本が段ボールいっぱいに詰め込まれて届くセットがあった。たぶん。
母がそれを買ってくれて、たまにドサリと絵本が届いた。
届いた絵本を、大きな本棚に詰め込んだ。
5段くらいある本棚が、いっぱいになった。
「うちには、絵本がいっぱいあるんよ」と、幼馴染によく自慢した。
「ウチの方が多いよ」と幼馴染が言うので、「いや、うちの本棚の方が大きいもん」と言い返した。
◇◇◇
絵本で、まず惹かれるのは「絵」だ。
『わたしのワンピース』、『あひるのバーバちゃん』、『だってだってのおばあちゃん』、『はじめてのキャンプ』。
どれも、絵が好きだった。
そして、読んでみると、話も良いのだ。
癒されるストーリー、お茶目な登場人物に、わたしはますます虜になった。
すこしコワイ絵の本も、気になった。
『かいじゅうたちのいるところ』や『すてきな三にんぐみ』、『おしいれのぼうけん』は、どうしてもこわくてこわくて。
寝る前には読めそうもないからと、明るい昼間にこっそりひとりで中身を確認してから、夜を迎えた。
シリーズものも、大好きだった。
『14ひきのねずみたち』では、「おひっこし」が一番好きだったし、『11ぴきのねこ』シリーズは、「あほうどり」がナンバーワンだった。
『こぐまちゃん』シリーズは、定番の『しろくまちゃんのほっとけーき』。
それから「みずあそび」と「どろあそび」。
「さよならさんかく」も、くりかえし読んだ。
見開きに、ずらりと小さい絵がならぶタイプの絵本も好きだった。
たとえば、『からすのパン屋さん』。
絵本を読んでくれるのは、いつも父だったので、見開きにならぶパンを指さして、「どのパンがいい?」とよくたずねた。
『だるまちゃんとてんぐちゃん』でも、道具がずらりと並ぶ場面があって、よく父とどれが好きか話し合った。
有名な作家さんの本も、たくさんあった。
五味太郎さんの『きんぎょがにげた』、『あいうえおばけだぞう』。
谷川俊太郎さんの『これはのみのぴこ』。
レオ・レオニは、『スイミー』もいいけど、『フレデリック』がいちばん好きだった。
せなけいこさんの『ねないこだれだ』と『あーんあん』は丸暗記していた。
もう、ほんとうに。
思い出の絵本をあげだしたら、キリがない。
『三匹のやぎとがらがらどん』も、『わすれられないおくりもの』も、『サンタクロースとこびとたち』も、『じょせつしゃケイティ―』も。
あの絵本も、この絵本も、ぜんぶ、ぜんぶ。
大きな本棚から選んで、父のもとへ持っていき、読んでもらった思い出がよみがえる。
読んでもらうのが、大好きだった。
父は、べつに読み聞かせが上手くなかった。
たどたどしくて、すぐに読み間違えるし、めんどくさくなると一文飛ばすし、煙草くさいし。
でも、父のとなりに寝そべって、あれやこれやと言いながら、一冊の絵本を読んでもらって寝る時間が、幸せだった。
安心感と幸福感に包まれて、眠りにつく。
優しい思い出のそばには、いつも絵本がそばにあった。
◇◇◇
30年前に読んだそれらの絵本は、父が段ボールに入れて、保管してくれていた。
ボロボロになっているものもあったが、多くはまだ読めそうだった。
長男が生まれた年の夏。
わたしは、それらを家に持ち帰った。
多かったので、ボロボロのは泣く泣く処分し、お気に入りたちを、家の小さな本棚にならべた。
全部は入りきらなかったので、段ボールで即席の本棚を作って、そこに置いた。
子ども部屋の本棚に、過去と今が、ごちゃごちゃになって、溢れた。
懐かしさが、ドッと押し寄せてくる。
この絵本を、今度は息子に読んでやるのだ。
そう意気込んだのが5年前。
『しろくまちゃんのほっとけーき』も、『きんぎょがにげた』も、ボロボロのまま、長男と次男に愛され、くり返し、くり返し、読まれ続けている。
絵本は、長生きだ。
子どもの頃から、ずっと変わらないまま、そばにいてくれる。
表紙は色褪せても、中身は決して色褪せていない。
破れていても、またテープで止めたらいい。
最新のポップでかわいい絵柄の本も好きだけど、昔らしい絵柄も、味わい深い。
言葉も美しい。
昔の絵本は、声に出して読みたくなる。
本棚の前にしゃがみこんで、口を尖らせて、ページをめくる息子たちを見ると、胸がいっぱいになる。
そうだ、もっと読め、どんどん読め。
息子たちのすがたは、30年前のわたしと重なってみえた。