見出し画像

今年こそ、おばあちゃんに会いたい。


祖母に会いたい。

もう5年も会っていない。
最後に会ったのは、わたしが長男を出産して、里帰りしていたときだ。

生まれて間もなく、島根の田舎からバスを乗り継いでやってきてくれた。
「ひさしぶりねえ、よおがんばったねえ」
祖母は、紫色に染まった髪の毛を撫で付けながら、そう言って笑った。
金色のネックレスと、胸の花のブローチがよく似合う。
わたしのために、はるばる着飾って会いに来てくれたことに、心がじんわりあったかくなった。

息子をいっしょに眺め、オムツを変えて。
まだ新生児の息子を抱っこしてもらったら、慣れた手つきで首を支えた。
「ああ、この人もお母さんだったんだな」と、当たり前のことを思って、それまで「おばあちゃん」でしかなかった祖母が、急に自分の母と重なってみえた。





なかなか会いに行けないものだ。
毎年夏には、広島の実家に帰省しているが、そこからさらに島根までもう一歩進むことができないでいる。

祖母の住む家は小さくて、息子たちを連れて行っても、居る場所なんてない。
きっと祖母も、小さな子どもがドタバタ走り回ったら困るだろう。
そんな、小さな遠慮もある。


でも、わたしは祖母の家が好きだ。
広い玄関からつながる小さな居間には、マッサージチェアがドンと置いてあって、小さな頃は何度もよじ登って座らせてもらった。

居間から続く長い廊下は、てかてかとワックスで光っている。
途中に2階へ続く階段があって、柱と柱の間から顔を出して下を覗ける。
弟たちと、その隙間をすり抜けて遊ぶたびに、「抜けんくなるよお」と祖母に忠告されたっけ。


2階には、祖母の部屋と祖父の部屋がある。
祖父は、わたしが中学生のときに他界して、もういない。
でも、書斎がそのまんま残っている。
祖父が愛用していた机や、難しそうな本が詰まった本棚。
静かな空気が、小さな部屋に漂う。
ときどき、祖父の気配を感じると祖母は言っていて、少しだけ分かるような気がした。


祖母の部屋には、アップライトピアノと、裁縫のセットある。
足踏みするタイプのミシンも。
祖母は裁縫の名人で、パッチワークの大きな作品をよく作っていた。
小さい頃は、その独特な模様の良さが分からなかったけど、壁一面を覆うくらいのパッチワークの壁掛けを作っていたのを見て、「器用だなあ、壮大だなあ」と感心した。



祖母の家には、毎年夏と冬の2回しか訪れていなかったのに。
どうしてこうも記憶に残っているのだろう。

田舎で、スーパーはたったひとつ。
コンビニも見当たらない。
当然、遊ぶおもちゃもないし、ゲームも、公園もない。

子どものわたしは、祖母の家で絵を描いて、テレビを見て、夕方には近所の銭湯に行き(祖母の家の風呂は狭かった)、広い客間に布団を敷いてさっさと寝る。
それだけだったのに。

祖母の家の木の匂い、置かれていたこけし人形、壁にかけられた大きなパッチワーク、日の光を浴びる廊下、キュルキュルと騒がしいマッサージチェア。
みんな、わたしの宝物のような思い出となって、何年も、何十年も、わたしの中に生き残り続けている。



祖母に会いたい。
もう一度会って、何か言いたい。
一体、何のために会いたいのか、自分でもまだよく分かっていない。

ただ、「おばあちゃんの家が好きだったよ」とか「夏にバーベキューしたの懐かしいね」とか「あそこに飾ってあったこけしが怖かったわ」とか言いたい。
それだけだ。たぶん。
それで、ひとしきり喋って、笑って、あとはピアノを少し奏でて、祖母の家の空気を胸いっぱいに吸い込んで、帰る。


あわよくば、息子たちも連れてきたい。
祖母は迷惑だろうけど。
わたしは、息子にも自慢したいのだ。
わたしのおばあちゃんの家、なんかいい感じでしょう、って。
息子たち、きっと気にいると思うんだけどな。




祖母は、もう96歳。
まだ元気だと聞いているが、いつ会えなくなるかと思うと、すこしこわくなる。焦る。

「会いたい人」なんて、たくさんいるのだ。
友達だって、弟や妹だって、父や母だって、もっと会って、思い出を作りたい。
でも、多分いちばん「時間」に限りがあるのは祖母だから。
だから、今年こそ、会いたい。

島根の田舎にポツンと暮らす、たったひとりの、わたしのおばあちゃん。



___まあ!元気しとったかね?

玄関からニコニコと出てきてくれる祖母に、駆け寄る。

___おばあちゃん!元気だったよお!
わたし、おばあちゃんに会いたかったんよ。



再会の日のことを、何度も想像する。
この夢は、きっと叶えられる。



いいなと思ったら応援しよう!