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雪降る土地ならではの、とくべつな思い出。

今年は、毎月1回はその季節らしい記事を書こうと思っていたのに。
気づけば、2月が終わりそうだ。

「季節を味わう」ということは、意識しなければつい忘れてしまう。
心にゆとりを持っていなければ、あっという間に過ぎ去ってしまう儚いものなんだと、つくづく思わされる。


バレンタインなどの2月らしいイベントもスルーしてしまったので、やはり2月もまた、1月同様「雪」や「寒さ」のことをふりかえる。
1月は、父の作るかまくらと、子ども時代の雪遊びについて書いたのだが、雪降る土地ならではの思い出はまだまだある。

そのひとつを思い出させてくれたのは、今読んでいるくどうれいんさんの『うたうおばけ』だ。
その中の一遍「雪はおいしい」は、まさにわたしもおんなじ思い出がある。

くどうれいんさんは、岩手県盛岡市のご出身。
そのため、幼少期には「雪」とともに暮らしてきたそうだ。

小学1年生のとき、友人と雪やつららを食べたときの様子は、寒い冬の出来事なのにどこかほっこりあたたまる、かわいらしい思い出だ。
特に、雪やつららの味の表現が細かい。
食べたことのあるわたしからすれば「そうそう!分かる分かる」と頷きたくなる。

田んぼに積もる雪は土の味がした。砂利に積もる雪はどこか化学的な味がしてよくなくて、生垣の上に積もる雪がいちばんクリアでおいしかった。わたしたちはつららも食べた。つららはトタン屋根のほうが立派に育つが、トタン屋根のつららは鉄っぽくてまずかった。

同書、p.55

降る雪を浴び、積もった雪を掬って食べる。
そんな「雪はおいしい」の描写を読んでいると、わたし自身の小学校時代を思い出す。

わたしは、東北地方出身ではない。
だから、わたしの思う「雪」と、くどうれいんさんの思い出の「雪」とは、量も味もぜんぜんちがうんだろう。

それでもやはり冬は寒かった。
毎年、雪が降る中を、歩いて登下校したものだ。
わたしもまた、くどうれいんさんと同じように、雪を食べ、つららをしゃぶった。



わたしと幼馴染が1年生だった頃。
小さなわたしたちは、車など低い位置についている小さなつららをちぎって食べるのが主流だった。

それはやはり、なんとなく排気ガスやガソリンを感じる人工的な味。
幼馴染と「この車のは不味いわ」なんて、意味わからないことを言い合ってはつららを舐めた。

親になった今なら、汚いから絶対やめろと言いたい。
でもこの頃は、こんなにも無垢だった。

そして、美味しいつららといえば。
我々の場合は、木や屋根の上からぶら下がる、大きくとんがったつららだった。

くどうれいんさんは、屋根のつららは不味いと書いておられる。
でも、私の住んでいたアパートの屋根のつららは、なぜか透き通っていて味も澄んでいた。


ただこれが、まるで届かないのだ。
なんせ二階建てアパートの屋根のつららだ。
背が届くわけもない。

私たちは、雪玉を投げつけて落とす作戦を思いついた。
でも難しい。
まず、当たらない。

当たっても、雪玉の固さがつららに負けると、雪玉の方が粉砕される。
さらに、うまく当たってつららがとれても、そのまますごいスピードで落ちてきて砕ける。
地面に触れる前に素早く受け止めなければ、食べることができない。

つらら落としは、至難の業だった。


しかし、この難易度スーパーハードつらら落としには、頼もしい助っ人がいた。
それは、同じアパートに住んでいた6年生のお兄さんだ。

私たちが1年生の頃に6年生だったそのお兄さんは、とても無口でクールだった。
浅黒い焼けた肌。
シュッとした目元。
すらっと背が高く、余計なことは言わない男だった。


実はわたしは、そのお兄さんが少し怖かった。
だって愛想もなければ、ニコリともしない。
可愛い一年生に、優しい言葉でもかけてよ、と言いたくなる素っ気なさ。

でも、このつらら落としの際。
クールなお兄さんは、私と幼馴染がキャーキャー言いながら雪玉を投げているのを見かねて、ふらっと近寄ってくると、そのまま手元の雪玉をつららに投げつけ、一発でそれを撃ち落としたのだ。

パキンと勢いよく折れるつらら。
それを、素早くダッシュして手袋で優しく受け止める。
割れないようにふわっと掴むと、なんとそれを無言でそのまま、わたしに手渡してくれたのだ。



か、かかか、かっこいい‥!!!


惚れた。ずるい。
いや、惚れるよこんなの。

この当時も今も、恋愛やイケメンにまるで興味を持たない系女子のわたしでも、流石にこの時ばかりはズキュンときた。

ときめいた。
心が掴まれた。
なんせ、20年以上も経っているのに、覚えているくらいだ。

あの、お兄さんが軽やかに足を挙げて、雪玉を投げる光景。
目に焼き付いて忘れられない。


あとで知ったのだが、お兄さんは野球を習っていたそうだ。
そりゃあ投球も上手いはずだと、納得した。


私と幼馴染は、ちゃんと一本ずつつららを手渡してくれたお兄さんに、ぎゃあぎゃあ喚きながらお礼を言った。
そしてわたしは、登校しながら大事に大事にそれを食べた。

お兄さんは登校班の班長だった。
列の先頭、わたしのずっと前を歩いていた。
黒いランドセルに班旗が刺さったその背中が、なんとも頼もしく神々しい。

6年生とはなんてかっこいいのだろう。
少女のわたしは、心底震えたものだった。


時は現代に戻り、そのお兄さんとは無縁の今日。
わたしは今年、つららを見なかった。
残念ながら、今年はつららができるほど寒くならなかったのだ。

昨年は大雪が降り、ベランダには立派なつららができた。
わたしはそれをいくつか折って、長男に見せてやった。

昔、お母さんはこれを食べたんだよ。
そんなことを話してやると、「・・・ええ?」と引いていた。

ちなみに、南の生まれの夫も、怪訝な顔をしていた。
やっぱり「雪やつららを食べる」というのは、寒い土地ならではの、特権めいた思い出なのかもしれない。

大好きなくどうれいんさんと同じ、雪やつららの思い出があるだなんて。
それだけでちょっと嬉しくなる。


来年は、つららができたら次男に見せよう。
食い意地のはった次男なら、つららの味を語りあえるかも。

もうすぐ2月も、冬も終わる。

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