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親として、声をかけるということ。
自分のことを、自分で褒めたり認めたりできる人に、圧倒されてしまう。
それは、わたし自身が自分のことを、「自分で褒めたい、認めたい」とおもっているから。
苦もなさそうに、「俺はこういうことが得意です」とか、「わたしはこの服が似合うのよ」とか公言できる人のことが、羨ましい。
「ひがみ」のような感情もあるし、純粋な感心もある。
わたしだって、子どもの頃は、自分のことを「かわいい」「かしこい」「足が速い」などとおもって生きていたのに。
気づけばそれらを否定するようになってしまったのは、どうしてだろう。
わたしは「ブス」で「馬鹿」で「運動音痴」と思い込んでしまうと、そこからなかなか抜け出せない。
自分をそんなふうに貶めるのは、傷つくけど、楽でもある。
ただ、楽な方へ流されてしまっただけなのか。
はたまた、決定的ななにかがあって、幼少期の自己肯定感は、ずるずると崩れてしまったのか。
いろいろ思い出してみたが、やっぱり「信頼している人」からのひと声が、大きな影響を与えた気がする。
つまり、「親」だ。
「友達」も、ありうる。
わたしの通っていた学校は、とにかく口も治安も悪かったので、「ブス」「バカ」「しね」は挨拶みたいなもんだった。
同級生が「ブス」と言えば、やっぱりわたしは思っているほどかわいくないんだ、と心から思うし、しずかに傷つく。
荒れた学校を「わたしはわたしらしく!」と、たくましく生きていけるほど、タフではなかった。
それでもそこに、「親」の言葉があれば。
弱い心を、支える助けになったかもしれない。
母は、昔から「勉強ができないんだから」「あんたそんなに頭良くないんだから」とわたしによく言葉をはなった。
「そんなに言われるほどか?」と思うくらいの成績だったはずなのに、何度もバカバカ言われ続けると、ほんとうにバカな気がしてくるから、言葉ってこわい。
大人になれば、今度は容姿いじりになる。
「あんたそんなに可愛くないんだから」と、妹と比べられる。
妹には「お姉ちゃんよりバカなんだから」と言うらしい。
おいおいおい。
完璧人間でも、産んだつもりか。
妹とふたり、どこを目指せば母に気に入られるのかウロウロと探し回ったこともあったけど、もうやめた。
わたしを否定してくる人とは、離れてしまえば問題ないのだ。
母に唯一、認められていたピアノ。
発表会で受賞すると、母は「あんたがいちばん、上手かった」と言った。
それは、ほんとうにそう思って言ったのだろうけど、今だから言いたい。
その褒め方は、やめた方が良い。
いっしょに練習してきた友達も、みんなみんな頑張っていた。
その子達が否定されたように感じて、素直に喜べない。
めんどくさい。
いや、繊細な子どもだったのかもしれないし、母が鈍感すぎるだけかもしれない。
とにかく、母のひと言に、良くも悪くも翻弄されてきた。
だから今、悩む。
息子にどう声をかけるか、ほんとうに悩む。
母みたいなことは、言いたくない。
でも、母がそう言いたくなる気持ちも、分かってしまった。
わたしは、長女。
初めての我が子の勉強が、気になって気になってしょうがなかったんだろう。
大人になると容姿で見劣りする娘が、気がかりだったのだろう。
でも、やっぱりイヤだった。
レッテルを貼らない、声かけがしたい。
息子の人生を、振り回さない声かけを。
長男は、感じやすい子どものようで、ポロッとこぼした言葉をいつまでも覚えていたりする。
絵が上手いので、おもわず「上手いなあ」と言うと、上手くない子がいると話し出す。
足がたいして速くもないのに、速い速いと褒めると、ギャップに困惑する。
優しくておだやかな性格を褒めると、ときどき無性に苦しそうな顔をする。
もう、なにが正解か分かんなくなってきた。
夫とふたり、顔を見合わせる。
親って、親の言葉って、重い。
それでも、これだけはいいな、伝わってるな、とおもえる声かけが、ひとつだけある。
それは、「お母さん、それ好きだなあ」。
絵を描いても、「うわ、お母さんそれめっちゃ好きやわ!飾っていい?」と言うと喜ぶ。
ピアノを弾いているとき「その曲好きやわあ、弾いてくれたら楽しくなっちゃうね」と言うと、何度も弾いてくれる。
運動会で「長男ちゃんが頑張って走ってる姿が好きやったで」と言うと、ニコッとする。
「アイメッセージ」というやつだ。
お母さん、お父さんは、君のことが好き。
君のすることが全部好き。
君のこと、いつも見てるし、応援してるし、君が嬉しいとお母さんたちも嬉しい。
この伝え方を大切にしたい。
もちろん、これだってやっぱり「親の言葉」だ。
息子の人生を、良くも悪くも左右してしまうことになるのかもしれない。
でも。
どのみち、息子の心に残る言葉なら、少しでも前向きになれる言葉がいい。
さて。
長男は今日、人生初のピアノ発表会。
終わったあと、わたしは、どんな言葉をかけるのだろう。
どんな演奏でも、抱きしめて、「めちゃくちゃがんばっていた長男のことが、大好きだよ」って伝えるつもりだ。