プレゼンス

プレゼンス。欲しいもの。
そこに行くと誰かいる。話できる。話聞ける。
話しかけなくてもいいし、喋んなくても喋ってもいいけど、居れる。

関心空間はそんな場所だった。関空にupされてる文章の感じ、内容も好きだったし楽しかった。

ここは寂しい場所だ私には。
話ができない。話をしてても寂しくなって離れてしまう。
誰もいない。

9月7日

現実でもネット空間でも求めるものはカフェ、喫茶店のような場所。
マツコの西荻窪特集で言ってた「常連さんがいて、でも一見さんも受け入れてくれるような店」みたいなのが好き。心地いい。

noteのコンセプトは「街」らしい。
街だとしたらどこだろう。。?って考えて
ここは住宅街なのかなって。

人様のおうちに見ず知らずの人間がビンポンしたら不審がられる。
そんな感じ。
住宅街の中、近い価値観、近い生活環境、近い嗜好じゃないと話できないのかなって。


9月8日

書きたいことがある、書くのが好き、だから書くというのが一番真っ当な理由だろうネットに文章をあげる。

人の気配を感じたいからだ、わたしは。SNSは。
読んで楽しい文章、共感できる文章、知らないことを教えてくれる文章、センスある笑える文章、とかのある空間。

喫茶店に行くのは人がいるからだ。顔なじみになって迎えてくれるオーナーや常連さん。
たまたま顔を合わせておしゃべりするお客さん。
名前も知らなくてもいいし、歳も仕事も別に知らなくてもいい。気があったら連絡先交換してもいい、遊びに誘うことがあっていい。喋らなくてもいい。

コーヒーを飲みたいから喫茶店に行くんじゃない(飲み物を飲みたくて行くときもある)
外でコーヒー飲みたいからカフェや喫茶店に行く。
ひとりじゃない場所に行きたいから行く。
コーヒー一杯で座る場所ができる、人がいる空間に居れるから行く。

9月8日

落としたコーヒーを毎日飲みたいのだったら自分の家で淹れたほうが経済的だろう。カフェのコーヒーでお気に入りの味があるなら豆を売ってる店もあるし。
すごく美味しいけど居心地悪い店なんか行きたくもない。
味は普通で落ち着く店が千倍いい。

バランスを取るため、さみしいから、そんな事でしかない、ネットを覗く理由は。現実が楽しければ足は遠のく。
動き回ってたときは遠のいた。
バランスを取るため関空に戻る。

noteには何故か毎日更新をしたいという方たちがいる。
毎日とか毎週とか毎月とか書いてるとなぜか「おめでとう」とか「凄い」とかnoteに言われる。何でかわからない。

毎日更新してる方のアカウントはことごとくフォローを外している。
過剰、だと思う。毎日長い文章を書くこと、upすることは。noteは長い文章を書ける場所だけど、長い文章を書くにはエネルギーと時間とネタがいる。
人のことだけを批判できるわけじゃなく、私も関空では毎日更新してるときあった。行き場がなくて、気持ちの行き場がなくてバランスを取ろうとした、書くことで発散したり、開放したり、すこしはらくになりたかった。

短い文章を一日の中で何回かupした。フォローして下さってる方に何回も「記事が更新されました」って来たらうるさいし、お知らせしてもらわなくていいと思ったから、「記事を編集してもお知らせしない」というとこにチェック入れた。

Xでもあまりにもポストの回数が多いアカウントはフォローを外すことがあった。TLをスワイプしてその方の投稿ばかり連続で出てくると「もういい。。」って気分になってくる。
TLで一つのアカウントの投稿数が過剰すぎると飽和状態を感じる。

書くことを仕事にしたいという方が毎日更新されてるって事なの?かな。
ライターの方が書いてる記事をnoteで読んだりすると「プロの人の文章は違うな」と思う。読みやすかったり表現力だったり読んだあとでプロフィール見て「そっかプロの方だったんだ」って納得する。

プロの文章はやっぱりプロなだけはあるけど、でも仕事にしたいから、とかじゃなく書きたいから書いてるものを読みたい。
ここも課金するサブスクのアカウントならお喋りできるのかもしれないけどめんどい。ふらっとしたい。ふらっと行きたい。

関空の心地よさはバズりたいという人がいなかったからだと思う。
閲覧数も登録者数もアクティブユーザーの数もX とかインスタとかtiktokとかと比べものにならなかったと思う。
でもこじんまりがいい。こじんまりだから新着のkw、日記もスクロールすればその日にupされたものは見渡せて、だからどんな感じの方が投稿してるのか、どんな内容の文章がupされてるのか分かるのも安心感があった。

安心できるお店の条件は店員さんが口が堅い事。
人と一緒に行って喋ってるときも、店員さんとお話しするときも、
「これについては人に外に漏らさない」という基準を持ってくれる人がいい。
客がそこで喋ったことをなんも考えずに人に漏らすとどういうことが起こるかもしれないか、考えが及ばないような人がやってる店なんてごめんだ。

録画してあった「100分de名著」の20世紀の哲学者、リチャード・ローティの回を見た。


バザールとクラブという言葉が出てきた。


喫茶店はローティいうところのクラブだと思う。
ネットはごっっちゃまぜになってる、バザールとクラブが。
(バザールでござーるが頭に浮かぶ🐒うっきー🍌)

部屋の中で「こいつきらーい」「うざー」「きも」とかくっちゃべったところでその場だけ。
しかし「体臭キツ」とネットで呟いたら解雇されるのら。

noteで斬りつけられる。きっとご本人は誰かが自分の言葉で切りつけられてるなんて思ってもいないだろう。

本音はどこに置けばいい?

どこかで「現実で人に対して言えないようなことはネットで人に言ってはいけない」みたいな言葉を聞いた。最もだ。
もちろん誹謗中傷はアウト。匿名で人の心を追い込むなんで駄目に決まってる。
だけと漂白されたような言葉しか聴けないのだったらネットって意味もなくなる。

インスタは10代の子は親が許可しないと1時間しかアクセスできなくなるらしい。相互フォローしてる人同士じゃないとDMできなくなるらしい。
親が誰とやり取りしてるか知ることができるらしい。
誰だよ?これ考えたの??

性加害を心配するなら成人男性が10代の女の子のアカウントにアクセスする事を厳しくしろよ。DMを一定の条件クリアしないと使えないように制限しろよ。なんでだよ。

人に話しかけることに飢えている。ぱっとさっとそのままを思ったときに話したい、話しちまいたい!!!

文章にして残しておくと、後でそんなことあった事、そんなこと思ったこと、忘れていることがわかる。てもいい忘れちゃっていい。そんなのより楽しい気持ちをその時感じることのほうが大事。話した感覚を聞いてもらえた安心感嬉しい気持ちをずっとずっと覚えてられる方がしあわせ。話してぇーーーーーーー!

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