「海でつながる弧」与那国島編
日々世界で力による支配を見せつけられているが、武力によらなければ、解決できないのだろうか。大国の思惑に従うことしかできない国はどうなるのか。平和裏に生きているわたししたちにそれを考えることは差し迫っていることなのでは。それを考える材料は今敵基地攻撃力が実際に整備に向かいつつある中、軍事化が進む沖縄に目を向けている人から聞くのがいいのではないか。
沖縄のことをこの間取材し続け、東京と沖縄のつなぎ役を果たそうとするルポライター西村仁美さんに、今沖縄で何が起きているのか、そこで住む人は何を思い、悩んでいるのか、取材を通して感じたことをレポートしてもらった。(「あげな・どげな」WEB版編集部)
※これは、筑後地域文化誌「あげな・どげなⅡ」2023年秋より始まった筆者の連載「海でつながる孤」に連動するものです。「あげな・どげな」WEB版での全文掲載の予定が、諸事情により困難なため、編集長と相談し、取り急ぎ筆者のNOTEで始めることになりました。
与那国島・比川(ひがわ)集落の与那国町離島振興総合センターで防衛省主催による住民説明会が行われたのは、今年2023年5月15日の夜。ちょうど沖縄の日本復帰51年目に当たる日だ。人口約1700人(そのうち約200人ほどが、自衛隊員とその家族。2024年3月末までには新たに電子戦部隊など約90名を追加配備する予定)の島で、説明会参加者は、約140名ほど。既に与那国駐屯地ができ、自衛隊が島の生活に入り込んでいる状況などを考えれば、関心が薄く、足を運ぶ人も少ないかと思ったが、想像以上に多かった、という住民の声があった。防衛省側は、司会を除き、本省、沖縄防衛局、与那国駐屯地幹部職員で12名が参加していた。
同説明会には、移住して7年になる山田和幸(かずゆき)さん(71歳)、「明るい未来を願うイソバの会」メンバーの山口京子さん(64歳)や、植埜貴子(うえのたかこ)さん(34歳)の姿もあった。遡ること5日前、山田さんたち住民3名は、沖縄島(沖縄本島)まで飛んでいた。沖縄県知事や沖縄県議会、(沖縄防衛局を窓口とする)防衛省への申し入れと、関連する記者会見を開くためだった。国が計画するミサイル部隊配備や、糸数健一(いとかず けんいち)町長が国に要望する樽舞(たるまい)湿原での港湾開発と与那国空港滑走路の延長などへの危惧がこうした行動を起こした。
与那国島は、防災無線による与那国町役場からの放送だけが主な情報アクセス手段で、住民の頼りだ。数日前から毎朝夕二回、住民説明会の開催を告げる放送が行われていたそうだ。
山田さんは言う。「きっかけは、やっぱり去年の秋の、(日米合同軍事訓練の)『キーン・ソード』の当たりから。知らないうちにいろんなものがどんどんやって来る感じ。何が起きているかもわからない、町長からの説明も一切ない中で、何かしなきゃと思い、集った人たちの間で、こうした動きに繋がった」
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ここで、島の住民の行動の背景にある、2022年から23年5月現在に至るまでの与那国島での「防衛」関係の大まかな動きをざっとおさらいしておこう。
2022年
・9月 糸数町長が台湾有事を想定した避難基金創設のための意向を示し、関連条例案、9月定例会で全会一致で可決
・同月、糸数町長、国へ樽舞湿原での港湾開発と空港滑走路の延長要請
・11月17日~18日
沖縄県内初・陸自戦闘車両「16式機動戦闘車(MCV)」による公道使用訓練(※11月10日から19日にかけ、キーン・ソードの一環として行われる)
・11月30日、弾道ミサイルを想定した初の住民避難訓練(内閣官房、消防庁、沖縄県、与那国町主催)
・ミサイル部隊追加配備関連予算、2023年度防衛予算に計上、国、12月と翌年1月に与那国町、沖縄県庁へ説明(1月は、与那国町議会議員も含む)
2023年
・4月、糸数町長、沖縄県へ樽舞湿原での港湾開発と空港滑走路の延長要請
・4月、北朝鮮の衛星発射通告を受け、浜田靖一防衛大臣の破壊措置命令により、駐屯地グランドにて初の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)配備
山田さんたちが、沖縄島での記者会見などを終え、石垣から50人乗りの小型プロペラ機で島に戻って来る際、着陸時に機内で「お疲れ様でした」と温かい声をかけられるなどしたという。さまざまなしがらみの中で声を出し辛い、自分たちの思いを、移住者である山田さんたちが代弁してくれた、というふうに少なからずの住民たちはとらえたようだ。
■ 町長「不在」の住民説明会
さて、当日の住民説明会だが、冒頭高齢の男性が「町長を出しなさい! 挨拶させなさい!!」などと怒り、抗議し、会場を立ち去った。
一方の名指しされた町長は、と言えば、どこに座っているかもわからないほどその存在感は希薄で、「町長不在で一時紛糾」と後日新聞で誤報されるほどだった。
防衛省の各担当者は、追加配備するミサイル部隊と、そのための用地取得、そして新たな弾薬庫や覆道射場(屋根付きの射撃訓練場)などについて淡々と説明を行った。
そして、最後の約80分ほどの質疑応答の時間で、住民からさまざまな質問や意見が飛んだ。
「なぜ『復帰の日』にこうした住民説明会を行うのか?」「なし崩し的に敵基地攻撃能力のあるミサイル配備をしないことを約束して頂けますか?」「町長が独断で決めたというふうに聞いていますが、どのような気持ちで決めたのか、町長にお答え頂きたい」「樽舞湿原に港を作るという話もある。あそこは聖地。絶対に手をつけないで欲しい」「投票率を見ると、沿岸監視隊が来て、町長選挙や町議会選挙で自衛隊がキャスティングボードを握り、住民自治にものすごい影響を与えていると考えられる。ほかに自衛隊のいる自治体でもこうしたことは起きている?」など。
会場から大きな笑いと拍手が起こったこんな質問もある。
「与那国町の小、中学校は老朽化が進みボロボロ。ミサイルが落ちる前にこの学校の壁が落ちて来そう。学校の壁をどうにかするのが先では?」
まだ20代ほどの若い青年によるものだった。
先の山田さんや山口さんなどもそれぞれ、今回のミサイル部隊追加配備の話がなされるプロセスや、「軍民分離の原則」が国際人道法にある中で、有事の危機的状況で本当に住民を自衛隊が助けられるのか質問していたが、防衛省側からの回答は、はっきりしないものだった。
■結論ありきの「説明会」
住民説明会の中では、借りて来た猫のようにおとなしかった糸数町長だが、実は、町政の中では、住民自治を壊すほど一人で暴走しているように見受けられる。
というのも、今回のミサイル部隊追加配備の件は、糸数町長の独断で国からの打診を承諾したのではないかと疑われるような状態だったからだ。今回の説明会は、先に国がミサイル部隊追加配備関連予算を国会で承認させた後の、言わば「後付け」のものだった。
田里千代基(たさと ちよき)町議会議員は、「糸数町長は、議長にも議会にも説明も、諮ることもなく、住民に対しても自ら説明を行うこともなかった。私たちは、新聞などの報道でこの件を初めて知ったのです。12月議会の一般質問に立ち、追及してわかったことですが、12月7日時点で、国側とミサイル部隊の追加配備の話をやっている」と話す。
さらに、「台湾有事なんてないと僕は思っている。これは、『人災』です。税金の無駄使いにしかならない。アメリカ政府に翻弄され、安倍政権時代からその財源を確保するための戦闘機を爆買いしているだけ」と続ける。自衛隊誘致に賛成したある自衛隊関係者の家族ですら、「沿岸監視隊だけでいいと思っていた。ミサイル部隊には反対です。あれから役場に一言意見した」と収まり切らない怒りをあらわにしていた。
■地方大合併にNO、「自立ビジョン」の島
町政について話を聞く上で、もう一人欠かせない人物がいる。2007年の外間守吉(ほかま しゅきち)町長時代から町政が自衛隊誘致に向かう中、自衛隊誘致に唯一反対した町議会議員(当時)で、畜産業等を営む小嶺博泉(こみね ひろもと)さん(52歳)だ。小嶺さん、実は、先の田里議員と共に「自立ビジョン」という政策の立役者の一人でもあるが、その件は後ほど触れる。
小嶺さんは、町政については、こう評価する。「尾辻吉兼(おつじ よしかね)町長 2005年に任期半ばで死去)が市町村合併に反旗を翻し、2005年に『自立ビジョン』を策定し、外間守吉(しゅきち)前町長は、『自衛隊誘致は島経済のため』と防衛を後ろ手に回し、町民を理解させ2008年の『自衛隊誘致』に至らせた。その後、国が2010年の防衛白書で『南西シフト』を明記し、糸数町長は、その方針をなぞるようにして国民の安全のための「国境防衛の島」を説く」と語り、この流れの中で、国の「飴と鞭」が上手く使われたとも言う。
防衛白書に「南西シフト」の文言が現れる前年の1999年には、過疎化や少子高齢化などで脆弱になっていく市町村の行政や財政基盤の確立を目的に、政府主導の「平成の大合併」の取り組みがあった。そうした動きの中で、与那国島にも、石垣市と竹富町との合併話が浮上するが、それに町政は、NOを突きつけた。当時の尾辻吉兼(おつじ よしかね)町長(2005年に任期半ばで死去)の下、先の田里議員(当時は、町の職員)、外部から呼び寄せた、住民自治に詳しい琉球大学教授の島袋純氏、小嶺さんたちが一丸となって、住民を巻き込みながら与那国町の未来絵図、「自立ビジョン」を打ち出したのだ。自立ビジョンとは、簡単に言えば、国の考える「防衛」とは真逆の発想だ。人口流出、過疎化の進んでいた与那国島で、その目を、日本からお隣りの台湾や中国、アジアに向け、住民が主体となって経済発展を目指していくというもの。全会派一致で自立ビジョンは議会でも採択され、町のホームページ(※1)で今もその内容を見ることができる。
「自立ビジョン策定は、むしろ合併特例債(※2)などの『飴』を受け付けず、町民が茨の道であっても希望に足を進めたものだった。『自衛隊誘致』後に、国たるものが防衛白書で南西シフトと後追いすることは余りにも恣意的ではないか。小さな行政区だからといってここまで翻弄していいものか」とやりきれなさを口にする。
「みんな軍備増強なんて本音では、したくないですよ。裏で隠れた経済論を優先させたい。自衛隊誘致派は、経済の活性化を目的にしていたはずが、島をあれだけ二分して手に入れたものといえば、ゼネコン付きの基地周辺整備事業で得た『ゴミ焼却炉』と『学校給食無償化』、そして『年間1700万円の町有地貸付料』だけ。挙げ句の果てには、なし崩し的にミサイル基地造成や軍港整備に島の南西部を割譲され、守ってもらえる触れ込みでのミサイル配備によって『島民避難計画』が俄に現実化してきている。やる気や活気を削ぐのみならず、飴も頬張らせないうちに、『軒先借りて母屋を奪う』ですね」と国の「防衛策」への皮肉を込めた。
だが、そう話す一方で、住民説明会自体は、参加して嬉しかったとも話す。「ほとんどが追加配備に反対や批判的な意見だった。誘致に回っていたはずの人たちも、みんな目覚めてきたのかなって思います。議員を辞めてからも与那国の行く末を自分なりに見届けたいという思いがあります」と答えてくれた。
肝心の糸数町長にも取材を試みようとするも、糸数町長は、今回メディアの取材を全て拒んでいると窓口担当者から言われ、ご多分に漏れず断られた。
■与那国等の歴史に新しい視点を与える遺跡 今回国が追加配備したい駐屯地東側約18ヘクタールの地域には、「伝サガムトゥ村跡遺跡」が含まれている可能性が高い。「与那国島や沖縄全体の歴史に新しい視点を与えるもの」と、教育委員会の成瀬満紀人(なるせ まきと)埋蔵文化財専門職員(26歳)は、その発掘に期待を膨らます。
「与那国島は、口承文化の歴史が長い。『伝』は、伝承という意味です。口承で伝わってきたもので、そうした言い方をしますが、言い伝えられてきた辺りの表土から陶磁器などが採取されていて、年代と、ある程度の場所の特定はできています」と言う。
そして、「伝サガムトゥ村」は、16~17世紀の集落跡で、与那国島で有名な女酋長、サンアイ・イソバが、島を一つにまとめ、今でいう地元の公共事業などに汗を流し、活躍したと言われる時代の後の話となってくるそうだ。「場所を転々と移動しながら住み着く、というのがこの島全体で見られる特徴で、より住みやすい場所を求めて移動したものと思われます」とさらに続け、サガムトゥ村の場合は、そこから上里村(うえざとむら)となり、今の比川集落が形成されていったと説明する。
「その重要性は、移動跡から見れば、当時の人々がどういう暮らしをしていたかがわかってくるというのがあり、与那国島の歴史の謎を解明する一つの手がかりになる」とのことで、「自衛隊の追加配備の用地取得に含まれるなら、外して欲しい」と話す。
与那国の歴史、食、文化に触れられる「与那国島歴史文化交流資料館(DiDi館)」の小池康仁(やすひと)事務局長も、「『遺跡を潰してまで基地を作るんですか?』という思いはあります。与那国島の発掘調査は、戦後初めて行われたため、考古学調査の日も浅く、まだまだ遺跡についてもわからないことだらけです。ただ表土から陶磁器があちこちで容易に見つかるため、実は、『遺跡だらけの島』だとも言えます」などと言う。
ところで、与那国島でわかっていないことは人間の歴史ばかりではない。動植物もまたしかりだ。伝サガムトゥ村跡遺跡の南東部に、琉球弧最大と言われる樽舞湿原がある。 これは、与那国空港滑走路の延長と併せ、糸数町長が、有事と防災に備え、住民の避難ルート確保のためということで、国に直々に要請を行った新たな港湾開発に関わる話なのだが、与那国駐屯地に近いところにある。ちなみに樽舞湿原は、環境省からも生物多様性の観点から、重要度の高い「重要湿地」として選定されている(※3)。糸数町長は、「国防は国家の専権事項で否定する立場にない」と言うが、しかしその国も重要な自然環境のところだと認めているわけで、これには首をひねらざるを得ない。国も糸数町長も自己矛盾ではないだろうか!?
■人間だけが生きているわけではない
崎原正吉さん(75歳)は、「クルーザー船も入れて民間活用もするって言っていますけれど、防衛省の予算でもし作られたら、民間は使えないですよ。軍港になるわけですから」と言い、ミサイル部隊が追加配備されたら、自衛隊が港を使い、そのうち米軍も使うようになるだろうと予測する。
実は、この崎原さん、今年5月の住民説明会で怒りの抗議をして退席したご当人だ。与那国町役場職員として長年、町政を支えて来た一人で、地質や土壌にも詳しい。
「与那国は、離島の中では、一番、僕は自給自足のできる島だと思います。東崎から西崎まで約12キロ、南北は4キロの細長い小さな島だけれど、その中を宇良部(うらぶ)山系、久部良(くぶら)山系が走り、高台があるものだから、雨が降ってもこの麓に水が流れ出る。そしてそれが、今の田原(たばる)や樽舞湿原になっています」と教えてくれた。
与那国の生き物に詳しい教育委員会の村松稔さん(46歳)にも話を聞いた。「自衛隊云々とは別次元のところで、自然環境として見た時に、樽舞湿原を開発することには、僕は反対です」と前置きし、「与那国って、人間だけが生きているわけではない。自分の島にミサイルをぶち込まれる恐怖心があるのなら、他の生き物たちのことも思いやれないのかなあって思います。湿地はとても特殊な自然環境なので、そこでしか暮らせない生き物、動植物がいるわけです。生き物たちも湿原をなくされたら行き場がない。人間は別の場所に避難して生きられるけれど、樽舞湿原の生き物たちは、樽舞湿原でしか生きられない。絶えてしまう命がいっぱいある」と静かに憤る。
樽舞湿原のそばの海は遠浅で、水深の深い与那国では珍しく、サンゴのリーフが発達しているところだそうだ。サンゴを割らないと港湾設備が作れないが、サンゴを壊せば、高潮や津波が直接陸に流入してくるはずで、比川集落にとっても、これこそよほどの『有事』だとも言う。「開発すれば、生態系が変わり、漁にも影響が出てくることが危惧されます。樽舞湿原の生き物だけではなく、人間の生活も脅かされます」と村松さんは訴える。
実は、樽舞湿原の開発話は、今回に限ったことではない。1970年代にはCTS(石油中継備蓄基地)建設計画が浮上し、当時、環境保護を訴える激しい反対運動が起こり、計画は白紙撤回となっている。その後、1972年の復帰後にも、「土地転がし」があったらしい。約20年ほど前まで樽舞湿原は、主に比川集落の人々に米などの実りをもたらしていた。その湿原は田んぼとして利用し、周辺は水を引いて畑を作っていたと、先の崎原さんから聞いている。
地元の人から、漁師町の久部良集落にある、台風時などに利用する「避難港」を開発して拡張すればいい、といった意見も出ていたため、久部良の住民にも尋ねてみた。「水深が深く、半年間は北風も吹くため、環境的に向かない」という。港を作るなら比川集落のある南側のほうが妥当だと言うが、「そもそも有事のための避難が必要なのか」、という話になった。
「もともと台湾は、日本だった時代もあり(植民地時代の話)、戦後も『密貿易』で行き来していた。漁師も、海域、国境線はあっても、緩やかな形で漁をしていた。今も経済水域があるものの、台湾や中国の操業も増えている。国が、そういったところと争いとならないよう調整をして欲しい。ただ一方では、漁師たるもの、海で困っている人間を国籍などを問わず助ける。それが、海の掟。台風などで避難させることもあるので、そうした人道的な部分については、柔軟な対応を認めて頂きたい」と。また、「今の町政は説明が足りない。防衛のための、自衛隊配備はいいが、台風の多い島なので、今の些末な作りの台風対策の避難所をもっと丈夫なものにして欲しい。優先順位を付けて取り組むべき」と久部良の住民は、あきれたように言った。
■エネルギーの残る島に希望
ところで、住民説明会の後、だんまりを決め込む町長に、住民同士が自衛隊の件に限らず、ざっくばらんに話し合える場を持ちたいと、東奔西走していた女性がいた。
冒頭の山田さんと共に、沖縄島まで会見などに行った、植埜さんだ。自衛隊誘致に揺れた与那国島で、2015年の基地建設を問う住民投票の後、いったん島を離れるが、二年前の2021年、二度目の与那国に、今度は移住のためやって来た。「島に戻って来た時には、みんなあっけないぐらいに自衛隊の存在に馴染んでいた。迷彩服を着ている人が普通に通勤していたり、店に自衛隊員のご家族が働きに来ていたり。そうしたことを否定する立場にもないので、こうした関わり合いをしながら生きる住民のみなさんの姿をみて、こうした在り方でもある意味で平和だと思った」という。だが、実際には、自衛隊の存否や軍事力の島への影響を問うような本質的な話に触れることがタブーになっていたことを植埜さんは後々感じ取る。「結局自衛隊誘致の時に分断されたというのが、本当にトラウマになっていて、そこに近づく怖さがあるのだと思うのです。そして、今回の住民説明会のように、考える情報も町から与えられず、自分たちの声も求められていない無力感が、この町を覆っているようにも感じます。自分の気持ちを吐き出す場所もなくて。幸福に生きる権利があると言われている民主主義の国で、そういう思いで生きている人がいるのは、よくないし、あってはならないって思うのです」
そうした思いから最近では、町長との懇親会を企画したようだが、残念ながら実現には至っていない。だが、住民説明会で怒りの声を上げた崎原さんや、質疑応答の時間に声を上げる人たちの姿をみて、まだそれだけのエネルギーのあるこの島の住民たちに希望を感じたとも言い、植埜さん自身は、「人と人とを繋げていきたいし、それが自分のできることかなと思ったりする」と笑顔を浮かべた。
与那国島は、国境にある「最果ての島」ということで、1500人ほどの小さな島の人口からは想像もできないような、とてつもなく大きな「日本防衛」の負担を負わされている。だが、想像してみて欲しい。軍事力を増強した先に待っている与那国島や日本の未来を。そして想像してみて欲しい。「国境の島」は、海に浮かぶ島であり、海を通じてアジアに広がる島でもあるということを。自立ビジョンを生んだ島でもあるということを。その豊かな自然環境や地の利から、与那国島が担うべき役目は、もっと別のところにあるのではないだろうか?(つづく)
(ルポライター兼フォトグラファー 西村仁美)
※1 与那国自立ビジョン | 与那国町役場 (town.yonaguni.okinawa.jp)
※2 平成の大合併に関わる新市町村建設計画の事業費として特例的に発行できる地方債
※3 環境省_「重要湿地」の詳細情報(与那国島の湿地・河川) (env.go.jp)
住まいのある神奈川県・川崎市と沖縄島、八重山諸島などを往復しながら、琉球弧の軍事化取材を始め、約四年が経ちます。取材費など、自分の持ち出しと、皆様からの応援投げ銭(※「投げ銭」というのは、例えば路上で、ミュージシャンが歌をうたい、それに対してギャラリーの皆様方が、その対価として好きな分だけ投げ銭を行う、といったイメージでこの言葉を使っています)とで、なんとかやりくりしながら続けています。
取材成果としては、こうしたWEBや紙媒体の雑誌などで記事や写真を発表する、といった形となり、直接投げ銭をして下さった皆様への返礼品などは何もありませんが、今後、ないしは引き続き「応援してもいいよ!」という方がおりましたら、以下に「投げ銭」をして頂ければ幸いです。
大事に琉球弧の軍事化関連の取材に使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします!
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