「誰でもできる」から「誰にもできない」に
「ピアニストになればいいのに」
「将来は音楽系の大学に進むの?」
今までこんなことを言われてきたが、いまいちピンとこなかった。
褒めてるのかお世辞なのか分からなくて、
「自分はそんなにピアノがうまいわけじゃないのに。」と謙遜ではなく、本気でそう思っていた。
「こんなの練習すれば誰でもできるよ」
いつもこう思っていた。
そんなことを思い出していると、noteを始めたきっかけは何だったかなと考えるようになった。
誰に勧められるわけでもなく、誰に褒められるわけでもなく、なんとなく始めたnote。
「ずっとやってみたかったし、日記みたいに使えばいいか。」そのくらいにしか思っていなかった。
やり続けているといいねやコメントが増えて、noteの中でお友達ができるようになった。こんなことになるとは思っていなかったと思いながらも、とても嬉しい。
そして、文章を仕事にとまではいかなくても、自分で何かを作り出すような仕事ができたら幸せだろうなと、執筆をしているうちに思うようになった。
すると、「でも私が書いてることって別に特別なことではないし、みんなをあっと驚かせるような新常識みたいなものじゃないな。」と急に自信をなくした。
過去の自分を振り返ってみると、誰にでもできると自分を洗脳させているから自信がなくなるのだと気づいた。
中高吹奏楽部で打楽器をしていたのだが、中学校の時の私は、当時は「結構私叩けるほうなんじゃない?パートの中で私が一番上手いし。」と思えるほど自負していた。
しかし、高校では中学生の時とは比べ物にならないくらいレベルの高い学校だった。そして、今まで聞いたことのないくらい繊細な音からダイナミックな音まで出せる打楽器が上手い先輩がいた。
すっかり自信をなくした私は、早々に部活を辞めそうになったが、なんとか友達がいたから耐えた。
「自分の今のレベルじゃ誰にだって演奏できるよ。」
そう思いながらも人の何倍も練習するようになった。
そうやっていくうちに、「誰でもできるレベル」から「誰にもできないレベル」にまで追いついた実感があった。
「誰でもできる」と思っているうちは、自信がないだけだと思っていたが、伸びる境目の自分を厳しく評価しているからだと思う。
気ままにやっていることに対して「こんなの誰でもできる」なんて思うはずもない。
だから、「才能あるね」「こういう仕事すればいいのに」と言われて、もっと上手い人がいるし、なんて思わずにやれるところまでとりあえずやってみて、それがいつの間にか「誰にもできないこと」になっているんだと思う。