読者を意識して書くと思っていたものの
1年続けてきたnoteでは主に、自分の考えていることを書いてきた。
書き始めの頃は、「これ結構当たり前のことだけど、書く意味があるのかな?」と発信するかどうか迷った。
悩みながら書くことを続けていると、自分とは考え方が違う人と出会ったり、本音を文章にしているところが良いと言ってもらえたり。
少しずつ、自分のことを書くことに抵抗がなくなっていった。
抵抗がなくなり調子よく書いていると、今度は「読者は私の記事で楽しんでもらえているのだろうか」という疑問が浮かんできた。
自分が発信することなんてなかったので、書くことが楽しくてひたすら書いていた。
でも、それでいいのだろうか。
書く仕事をやっていくなら、必ずしも読んでくれる人がいないと成り立たない。
なのに、独りよがりの文を書いていていいのだろうか。
どうやったら楽しんでもらえるかについては、あまり考えられてなかった気がする。
読者が読みやすい話題を取り上げることを心がけたり、接続詞が読者にとって親切に書けているか気をつけたり。
自分の中で、「読者を意識して書く」ということは常に心がけていたつもりだった。
でも、「読者に楽しんでもらえるように」についてはあまり考えられていなかったのだ。
「読んでいて楽しいと思える文章を書く」ことについて考えをめぐらせていると、それは文章以外でも言えることなのではないかと気付いた。
チーム活動をする時にでも言えることではないか?
チームで活動するにあたって、どう伝えたらみんなが「それ面白そう、やってみたいな」と思わせられるかの "伝え方" の大切さに気付いたのだ。
私は今までアイデアを出すという所はできる方だと思っていたが、みんながやりたいと思える提案の仕方をしていたかというと、できていなかった。
仲の良い友達になら伝え方を考えれていたけど、仲の良い友達とばかりチーム活動を出来るかと言ったら、それ以外のことの方が多い。
それは大人になればなるほどそうだ。
今までの私は、自分の考えだけが先行し、周りとのコミュニケーションが不足していた。
気づくと1人でやっている。
そうすると孤独を感じやすくなり、メンバーと過ごす時間が苦痛になっていく。
1人でやると捗るからいいや、と思っていたが、そうではないことに気付いた。
なぜなら、周りの人達にも一人一人思いがあるから。
『しやすいからこの方法でやっている。今までもこのやり方でやってきた。』
『みんなが平和に取り組めるようにしたい。』
そんな思いを受け取れていなかった。
チームで1番重要と言っても過言ではない、「輪」の方を考えられていなかったのだ。
伝え方について考えていると、意外なところに繋がった。
客観的な視点があることを長所だと思っていたが、それは
自分もチームの一員であるという当事者意識を持てなくなることの裏返しなのだ。
今まではどこか他人事かのように、自分とチームメンバーに間に、鉄のように硬く動かない境界線を引いていた。
正しいことを優先させる私に、「正しいより楽しい」を教えてくれた文章は、私にとって最高の学問だ。