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退院後のある日主治医から 「突然お母さんから電話があったよ」 と言われた。 私が入院していることは言ってない。 私のパートナーから連絡がいったらしい。 パートナーは、一応「親」だから連絡をしたという。 しかし、先生の話を聞いて言葉がでなかった。 「私、母親です。娘はどうなんですか? どれくらい入院するんですか?重いんですか? 母親なんですから教えてください!」 それを主治医の口から聞き、私は唖然としてしまった。 しっかり日本の法律で「個人情報保護法」が 定められている時
私はサバイバーだ。 がんサバイバーは聞いたことがあった。 がんの宣告から治療をし生存し続けている人々と理解していた。 それに加え、戦場から生き残った人間のことを指して言う言葉とも。 生存者である。 生き残りである。 つまり「死」がそこにあったということだ。 誰よりも近くに。 もっというなら、死んでもおかしくなかったが生き残った者と言った方がいいだろうか。 このサバイバーと私は同じ立ち位置になるらしい。 私の戦場は 虐待とDVという暴力の日常だった。 家から一歩出るとき
サバイバーとして生き残った理由の一つ。 それは、私に「聖域」と呼べる居場所があったからだろう。 「仏壇」だ 先祖代々とか檀家とかそういうものではない。 一応、両親は宗教団体に属していたが活動なるものはしていなかった。 強制されたわけでないが、幼い私には心落ち着く唯一の場所だった。 神社・仏閣ではなく、家にある仏壇の曼陀羅に惹かれた。 墨で書かれた大小の文字が躍っているように私には見えた。 そこだけ空気が違うのだ。 人類に救いを求めることはできなかった。 血のつながった親