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私はサバイバーだ。 がんサバイバーは聞いたことがあった。 がんの宣告から治療をし生存し続けている人々と理解していた。 それに加え、戦場から生き残った人間のことを指して言う言葉とも。 生存者である。 生き残りである。 つまり「死」がそこにあったということだ。 誰よりも近くに。 もっというなら、死んでもおかしくなかったが生き残った者と言った方がいいだろうか。 このサバイバーと私は同じ立ち位置になるらしい。 私の戦場は 虐待とDVという暴力の日常だった。 家から一歩出るとき
サバイバーとして生き残った理由の一つ。 それは、私に「聖域」と呼べる居場所があったからだろう。 「仏壇」だ 先祖代々とか檀家とかそういうものではない。 一応、両親は宗教団体に属していたが活動なるものはしていなかった。 強制されたわけでないが、幼い私には心落ち着く唯一の場所だった。 神社・仏閣ではなく、家にある仏壇の曼陀羅に惹かれた。 墨で書かれた大小の文字が躍っているように私には見えた。 そこだけ空気が違うのだ。 人類に救いを求めることはできなかった。 血のつながった親
父親は嫌いだ。 母親はもっと嫌いだ。 勝手に生んで、 勝手にこの世の中に「私」という人間を登場させた親に感謝などするはずもない。 こんなことをどこかで誰かが言っていた。 「親も完全じゃないから」 だれも「完全」を求めていない。 寄り添ってくれる人間を求めている。 それが、この世で親が子供にはたすべき役割だと思っている。 親が「友達」になるのもおかしい。 その名は、子供と共に成長した親が後々獲得する別名だ。 聞いた話。 両親ともにいるからいいじゃないか。 うちは父親が早く