見出し画像

『「空気」の研究』を読んで1

『「空気」の研究』(山本七平著)を読みました。
現代で言う「認知戦」に通じる内容で、日本においていかに”空気”が物申しているか考えさせられました。
その中で私に印象に残ったところをまとめます。私の言葉でまとめるので、著者が言いたいことと違っているかもしれません。(下記は引用ではなく、要点を私がまとめています)


一神教では、「絶対」とする対象は一神だけです。他のすべてはすべて相対化され、対立概念で把握されます。最終的には契約によるので、日本のような”空気”に左右されることはありません。

日本人の世界はアニミズムの世界です。言い換えれば”空気主義”です。こちらは相対化はありません。絶対的対象となるものが無数にあります。対象から対象へ目移りし、一時期はそれに呪縛され、次には別の対象に移り、前の対象のことは忘れます。その場その場の”空気”に従っての「巧みな方向転換」となります。

しかしその時の支配的な”空気”が変わることなく、半永久的に固定化、制度化すると、ファシズムよりきびしい「全体空気拘束主義」になってしまいます。
そうならないためにも”空気支配”から脱却して、空気を対立概念で把握する”空気の相対化”が要請されます。


絶対的な存在(神)がいる場合、相対的に物事が成り立ち、神を中心にした理念に基づき、敵味方など物事の位置関係がはっきりします。

そうでない場合、日和見になり、その時の状況に合わせて移り変わります。しかし、その背後にある”空気”が絶対なるものになっている場合は、つかみどころのない絶対神的な拘束が起きてしまい、それに従わない選択はあり得ないという状態が起きてしまいます。

コ◯ナ禍においては、ワ◯チンを打つ/打たない、マスクをする/しない、外出する/しない、について ”空気” が物申していたのは皆が感じていたことでしょう。
誰が決めたわけでもないのに、「みんなが打つから」という理由で打ったり。
「他の人にうつるといけないから」と自分がかからないようにと打ったり。
自分は打ちたくないけど、職場のほとんどが打っているから。
義務になってないのに、職場で強制させられた、など。

今後もいろんなことに対して、一部の人たちに都合のいい”空気”が意図的に作り出されることでしょう。その空気感の中に入ってしまうと、そうせざるを得ない気分になります。もっとひどいと「そうするのが正しい」と信じ込んでしまいます。

相対的に比べることができないと、ひとつの”空気支配”になります。戦時中などもそうですね。みんなで戦争に勝とうとがんばっている”空気”に逆らうと「非国民」と非難されます。その戦争自体が間違っているとか、負けそうだという話は論外です。

ひとつの空気支配にならないように、私たち一人一人がちゃんと事実を見据えて、自分で考えていくことが大切です。まわりの同調圧力が強ければ、抵抗してもたたかれるだけです。そこから出れるなら出ることをお勧めします。

日頃からいろんな角度からの情報を取り入れておくと、空気感に呑まれづらくなります。

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?