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「霊」と「止」と「間」の話

ヒトはあらゆる可能性が眠る”あちらの世界”と、
物質的な”こちらの世界”の間にいる。

ヒトは潜象界に潜む可能性を
物理世界で具現化することができる。

潜在的にある情報をつなぎあわせて
新しいものを生み出すことができる。

自然界がずっとやってきたことだ。

自然界がヒトを作ったのは、その具現化を加速する
生物が欲しいと思ったからではなかろうか?

ヒトは媒体。
見えない世界の情報を物理世界に具現化していく。

これはもともと自然がヒトに求めた役割ではないだろうか?

より美しい世界を作っていくために。
ヒトという、それを加速してくれるかもしれない存在を作った。

この世界にヒトがゼロから生み出したものは何もない。
物質はすべて自然界にあるものから作られている。
私たちの思考も自然環境がベースにある。

すべてもらい物。

自然が必要性を感じてヒトを作った。
それは自然界に新しい意識場をもたらすもの。

その意図を忘れてしまったヒトの暴走は、
このままいけば、我々を破滅させかねない。

自然の意図を汲んで「自然としての人間力」を身につけるなら、
ヒトは本来のありようと役割を担っていくだろう。

ヒトは本来「間」に存在するもの。
だから「霊止(ヒト)」と書く。

ヒトは見えない情報(霊)が止(とど)まったもの。

そこに現れる意識は、
潜在的な情報を意識化、顕在化する。
それは「創造」と呼ばれる。

人間は「人」と「間」と書く。
「物理」と「情報」の間。
「意識」と「無意識」の間。
「人」と「人」との間。

「霊」と「止」と「間」。

私たちは情報と情報をつないで物語を作り出す。
関係性の中で ”何か” を生み出すことができる。

「霊を止める者」「間にいる者」は
「間」から察知したことを具現化する。

これは一人一人に与えられた可能性。

そしてヒトは進化する。
物理空間から情報空間へ。
情報空間がよりリアルになっていく。

自然界ではとうの昔から行われていることだ。
ヒトが言葉を使い出してから、
そのつながりは忘れられてしまった。

退化と進化が混じり合いながら、
生命は新しい試みを始めている。

我々もそれに乗って行こう。
芋虫が蝶になるがごとく。

(pb170928)


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