『「空気」の研究』を読んで3
引き続き、『「空気」の研究』(山本七平著)からです。
(1、2を読んでない方は → 1、2)
西洋では進化論を否定する人がいます。聖書に神が人を創ったと書かれているので、猿から進化するはずないというわけです。キリスト教の影響のない私から見たら、その発想がすごいなと思いますが、キリスト教信じている人にとっては大切なことなのでしょうね。
この本の中で著者と米国人とのやりとりが載っています。
進化論について話す米国人に「日本の小学校でも進化論は教えている」と著者が伝えると、「日本人は、サルの子孫が神だと信じうるのか」と驚いたそうです。その返答に著者もびっくりしたとのこと。
私も今までそんなことは考えたことがなかったです。そもそも天皇を現人神と思っていないので、進化論とぶち当たらないのですが。
私にとっては「人がサルの子孫」という教えが裁判沙汰になるほうが驚きですが、彼らにしてみれば「現人神をとるか進化論をとるか」の二者択一となり、片方を受け入れれば、片方は崩壊しなくてはならないという論理です。現人神と進化論が共存することが理解し難いようです。
著者は書いています。
組織的思考体系があると、そこのどこに進化論を組み入れればよいか、あるいはどちらかをとるかという二者択一にならざるを得ない。日本には、一神論的組織神学的発想がはじめからなく、情況への対応で決まる。その状況に対応して「頭を切り返してしまう」から、進化論の講義など必要ない。米国人の彼にはそれが理解できないのである、と著者は言います。
「二人の言」は、個人と神の直接的対面と、個人が神に直結することは許されず、属する集団を「天」とし、またその集団は上の集団を「天」とするという面し方の二通りの神への接し方のことです。
西洋には聖書をベースとした律法があり、それが大きな力を持っています。日本にはそのようなものはありませんが、”空気”という見えない情況に従う傾向があります。これはその時の情況によって変わりますが、「それに従う」という部分は変わりません。
場のホメオスタシスが働き、たいていは現状維持を好みます。変革よりも今の状態を保つために事実は隠し合うほうが正しいという空気になります。古い体制や癒着が崩れにくいものはこういう構造になっているからということになります。
どういう空気に拘束されているか?
これは日常に巧妙に隠れています。長く続いている”空気”ほど、変えまいとする空気感が強くなります。まずはどんな空気があるのかに気づくこと、そして、気づいたところからそれをゆらがしていくことが大事ですね。
そして、どんな空気を作っていきたいのか? どんな空気環境で過ごしていきたいのか?を一人一人が考え、行動していくことが大事です。それが次の時代に向けての礎となっていきます。
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