2022年9月のメッセージ
蓮の花は泥の中から咲くと言います。
根茎は泥水の中にありながらも、水上に伸びてきてきれいな花を咲かせます。
蓮は花が咲いていない時は沼地にある普通の植物っぽいです。きっと目立つことはないでしょう。開花の時期になると多くの人を惹きつけます。
どんなに才能のある人でも四六時中、目立っていると疲れます。
適度にオンとオフをするからこそ才能が発揮できます。
蓮や桜のように一定時期だけ美しく開花することで、その存在が印象に残ることもあります。
あなたの良さも必要な時に開花させて、あとは目立たなくてもいいのです。
能ある鷹は爪を隠すといいます。
実力がない人が実力があるようにふるまってもそのうち化けの皮が剥がれます。
虚栄は張らないほうがいいです。
自然体のままでいるほうがあなたの魅力が発揮できます。
今月は今まで出てこなかったあなたの部分が姿を表してきます。
自分でもこんな自分がいたんだと驚くかもしれません。
私たちが思っている自分なんて幻想です。ほとんどが子供の頃に、家族や友人などまわりに言われたことからできあがっています。
人が言ったことに自分が同意すると、それはあなたのものになります。実際のあなたがそうではないとしても、思い込むことでそれが自分なのだと納得してしまいます。
今月はそれが剥がれる出来事があるかもしれません。
自分らしくない自分が現れてきたらいったんはそれを受け入れてみましょう。
それが良くないなことだったとしても、自分の中のネガティブさや悪を受け入れると楽になります。
「自分はそうじゃない」と思うから苦しくなります。
自分にそういう部分はあるけれども、同時にとても良い部分も持っているわけなので、全然問題はありません。否定すると抑圧され、ゆがんだ出方をしてしまうことがあります。
認識は変えることができます。
より良い受け取り方と使い方をすればいいのです。
しかしわざわざネガティブ面にフォーカスする必要はありません。自分が自分のイヤな部分を否定していることに気づいた時にはそうしてください。
今月は言ってみれば「化けの皮がはがれる月」です。
猫をかぶっている人はその下にある顔を見せることになるでしょうし、臭いものにフタをしていたら、そのフタが剥がれるかもしれません。
化けの皮をかぶり続けるよりは素の自分を出す方が楽になります。いったんその状態になってしまえば、またそこから変化(へんげ)することもできます。
しかしその時には猫をかぶるのではなく、なんらかの目的のためにそうする、という意図が含まれています。俳優が舞台のために演技するようなものですね。
事象的には先月と似ています。
何かが起こっていると言えばそうだし、普段とそう変わらないと言えばそうです。
「剥がれる」ということで言えば、床下の板を剥がす感じもあります。土台となる部分の板がはがれるということですから、それが起こった時には動揺するでしょう。しかし床板が剥がれても、家はまだちゃんと立っていますし、地面もしっかりとしています。
大難が小難になったと思いましょう。
「床板が剥がれた、大変だ!」ではなく、「床板が剥がれるだけで済んだ、よかった」と思いましょう。
これは「化けの皮」でも同じです。
化けの皮が剥がれたぐらいで済んでよかったんです。
剥がれてしまう方が気楽になれます。
もっと素の自分に戻るためのプロセスと言えます。
素の自分を否定する人は多いですが(口では「素の自分になりたい」と言いつつも)、素の自分ほどパワーが発揮できる自分はいません。
なぜなら素の自分はコンフォートゾーンだからです。
コンフォートゾーンにいる時はベストパフォーマンスが出せます。
ただしあなたが思う「素の自分」と、本当の「素の自分」には違いがあると考える方がいいでしょう。
あなたが思ってもみない自分が案外、素の自分だったりします。
つまり自分らしくない自分です。
今月はそんな自分が顔を出したがります。それによってまわりとの均衡が崩れることもありますが、良しとしましょう。
本来のカタチに戻る時、今の状態は壊れていきます。
あまり自分でどうにかしようと思わない方がいいです。
成るにまかせる、来るもの拒まず去るもの追わず、の姿勢です。
「こうでなければならない」と思うと苦しくなります。
意外な展開があっても「そうきたか!」と楽しみながら対応していきましょう。
荒波にもまれながらもあっという間に過ぎ去りそうな9月です。
楽しんでください。
「和音」2022.9.1
蓮の花と蓮根の部分とどっちが素の蓮なんだ?と問えば、どっちもだよって答えそう。
花はきれいだけど食べれない。
蓮根はきれいとは言えないけど食べられる。
それは人が決めていることで、蓮にとっては「我感知せず」でしょうね。
では、楽しい9月となりますように!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?