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大丈夫はいつもそばに

私はとても幸せ者だと思う。

そう思う理由は単に私が、今まで大きな病気にかかったことがなく、大きないじめに巻き込まれることもなく、大きな挫折を味わったことがないからではないと思う。実際、何か大きな苦しみや困難を乗り越えた経験がないから、そこに引け目を感じ、何かを思いっきり頑張って何かを手に入れた人を羨ましく思ったりもする。悩みがないことが悩みです、ってものすごく皮肉だと思うけど、自分にとっては深刻に考えてしまうことだってある。
人見知りの性格のせいで友達は多くないし、彼氏はおろか、好きな人すらできたことがない。母親とは仲がいいけど、父親とは仲が悪く、家庭内別居のような状態で暮らしている。そんな感じで、友達は少なく、恋愛もせず、父親との仲は悪いで、世間から見た幸せの形とは近くはないと思う。

それでも、自分のことが幸せだと感じれるのは、
自分を大丈夫にしてくれる存在をたくさん持っているから
なんじゃないかと思う。

大丈夫なんて言葉は漠然としているけど、
漠然とした不安に襲われることと同じように、漠然とした大丈夫の気持ちでいられることが、私にとっての幸せなんじゃないかと思う。

わたしを大丈夫にしてくれるもの

具体的に私を大丈夫にしてくれる存在は、
中学からの友人、高校の部活の仲間、アーティストのOfficial 髭男 dism、Mrs. Green Apple、back number、お笑い芸人のかまいたち、サンドウィッチマン、そして母親だ。

思いつくだけでもこんなにたくさんいる。

大切な仲間について

まず、中学からの友人と、高校の部活の仲間は仲がいいという言葉で形容することがしっくりこないほど、大切な仲間だ。
一緒にいるときは本当にたわいもない話をして、くだらない時間を過ごし、時に真面目な話をし、最後に思い出話で盛り上がるというありきたりな流れだけれども、それでも私にとってはその時間がとても大切で、次はどこに行こう、何をしよう、という話をするたびに、「この人たちとは何があっても一緒にいたい。」と思えるし、どんなことがあってもこの人たちが私の周りで生きてくれるなら私は大丈夫なんじゃないかって思える。

さっきも書いたけど、私は友達が少ない。というか一人でいることが好きで、行きたい場所や食べたいものがあってもだれかと共有したいという気持ちがあまり湧かず、基本的に一人で行ってしまう。
だから自分から人を誘うこともあまりしないし、人間関係を広げようとはしない。それでも自分がさみしさを感じることなく過ごせるのは、大丈夫な存在がいつも心の中にいて、例え自分の身の回りの人が自分を攻撃して、傷つけて、いなくなったとしても、この人たちは絶対味方だから大丈夫と思えるからなんだと思う。
これからも一緒にいたいと思える安心感、漠然とした未来が私の宝物だ。

アーティストについて

Official 髭男 dism、Mrs. GREEN APPLE、back numberは一言でいうと、自分の琴線に触れたアーティストたちだ。
もちろんこの世の中にはたくさんのいいアーティストがいて自分もこのほかにもたくさんのアーティストの曲を聴いた。
一時は他のアーティストに心奪われ聴いたりもしたが、結局戻ってくるのはこの3組だった。
この人たちの作る歌を聴いてると、とっても心があったかくなる。
例えば嫌なことがあった時にミセスの「ケセラセラ」を聴いたら少し報われた気になったりとか、夕暮れの道を歩いているときに髭男の「B-side-Blues」を聴いたら、懐かしい穏やかな気持ちになれたりとか、自分は一人なのかもしれないと思ったときにback numberの「手紙」を聴いたら、一人じゃないと思えたりとか。いろんな場面で自分と重ね合わせて助けてくれる、漠然と大丈夫の気持ちにさせてくれる、そんな曲を作ってくれるアーティストが3組もいるって、とても幸せなことなんだと思う。

3組の似ているところ

ここで、どうしてこの3組が私の琴線に触れたのか、少しだけ考えたことを紹介したい。作り上げる音楽、伝えたいメッセージがそれぞれ違ったとしても、根本的なところがもしかしたら近いのかなと思った歌詞があるのだ。

ここで、自分らしさを歌っている歌詞を紹介したいと思う。

美しい緑色 役に立たない思い出も 
消したいような過去も いつかきっと色づくのでしょう

Chessboard
Official髭男dism

私色で彩って 誰とも比べないスタンスで
ある日突然花が咲いたらラッキー
そんな調子で生きろエブリデイ

ニュー・マイ・ノーマル
Mrs. GREEN APPLE  
         

自分らしさなんてきっと思いついたり流されたり
探し続けて歩いたその足跡の話だから

黒い猫の歌
back number

私はこの歌詞を読んで、どうして自分がこの3組が好きなのかすごく納得した。どうしても、強く自分らしく生きろ!!とかいう人が多い中で、もちろんそれが心に響くこともあるんだけど、紆余曲折しながら人生歩んでっていろんなことで自分を作り上げて、その結果報われるようなことがあったら、それはとても嬉しいよねって、それが人生だよねってみんなが優しい表現で伝えていて、根本にあるものが同じなんだろうなと勝手に思って、勝手に納得した。
本来、琴線に触れた意味なんて考える必要もないのかもしれないけど、自分の根本にある気持ちも、この素晴らしいアーティストさんの中から見つけられた気がしてとてもありがたい気持ちになった。

これからもこの人たちの曲は聴き続けるんだろうな、そしてこれからも私の人生を助けてくれるんだろうなという安心感が私を大丈夫にしてくれるのだろう。

お笑い芸人について

私はお笑いを見ることが大好きだからいつも救われている。
これは上の二つとは少し違う感覚で、私の人生を直接彩ってくれている気がする。
かまいたちのYoutubeは毎回更新されたらすぐ見に行くし、テレビ番組もTverを駆使しながら追っているしファンクラブも入っている。サンドウィッチマンはもちろんテレビでも見るしDVDも買ったし、ライブにも行ったことがある。
お笑い芸人は直接的に、もはや暴力とも呼べるほど強制的に、私を笑わせて楽しい気分にしてくれる。本当に感謝だ。
こんなにシンプルに人を元気にできることが本当に素晴らしいと思うし、これからもずっと笑顔にし続けて欲しいと願う。

母親について

母親の偉大さなんて言葉に表せないから簡潔に言うと、
大丈夫の塊なんじゃないかって思う。何をしてもきっと応援してくれるし、味方だし、友人よりももっと深いところで安心できる存在だ。
ずっと健康で元気に幸せに生きていて欲しいと無意識に願ってしまうこと自体がもう幸せなんじゃないかって思う。

私の周りは大丈夫であふれている

ここまで書いていて、私の周りは大丈夫で溢れているなと改めて感じた。大丈夫にしてくれるひとにものすごく伝えたいのに恥ずかしさで伝えられなかったりする。これからが見えるからこその恥ずかしさだから許してほしいな。アーティストや芸人さんには本当に助けてもらっているのに、それが直接伝えられない、ただの「ありがとう」の5文字がこんなに遠く、伝わらないのがすごくもどかしいけど、いつかなんかの形で伝えられたらうれしいな。

大好きな人には「大好き、ありがとう、これからもよろしくね」と伝えられる人になれたらいいなと思います。

長い文章を読んでくださりありがとうございました。

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