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もつれた糸を解くぞかなしき

脳の中からするすると一本の糸が引き抜かれる…すごく緩い手編みの毛糸がほどけていくような感じもある…と書いたけれども、
それはそんなに最初から最後までスムーズなわけではなく、実際自分が編んだ手編みのセーターをほどくときも同じで、するする行くときはいくけど、しばしば何かそれ自体の一部に引っかかり絡んで止まる。止まり出したら繰り返して止まる。
ていねいにからみをとくと、じきにまたするするといき始めるので、それを焦らずに手繰り寄せる感じ。いらいら厳禁。

家族が体調を崩して、熱を測ったり薬を用意したり病院に電話したり。
思うのは自分の自信があったらなあということ。看護師さんのように自信をもって、有無を言わせない形で「仕事忙しくても明日は病院に行かないとね」と言いつつ、相手が絶望しない形で「これは早めに見てもらったらはやくなおるやつかもよ」「体力ついてきてるからこのくらいで済んでいるのね」などなど。場を回転させ続けることはエネルギーをすごく必要とする。
わたしはそれがやはりあまりうまくない。

一通りのことがすんで落ち着いた寝息が聞こえてきても
絵を描いている場合ではない、というようなスイッチが入ったままになっている。いや、今日はどうもそれの前からペンに手を伸ばしにくい感じがあったぞ。まとめてあれこれ自信のないところが脳内に膨らみそうなとき。

こういうおまじない歌というか、そういうのを母から教えてもらったことがある。
「いそがしやいそがしや
いそべのいしにこしかけて
もつれたいとをとくぞかなしき」

私はちいさいころからモノとふれあうのは好きなのだけど、うまくいかないといらいらする子だった。誰しも多かれ少なかれあると思うけど。余った毛糸の玉をもらって編むことを教えてもらった時もすごくわくわくしながらどれだけいらいらしたか知れない。とくに、しばしば「ほどくのに引っかかって」解けないことにいら立った。
素敵な毛糸をもらった時には天にも昇りそうにうれしかったのに、解けなくなったとたんに憎らしくなり、力任せに引っ張って引きちぎりたくなる。そういう時に気持ちを静めて唱える歌。
このことばを繰り返していたらほどけるよ、と。

つまり心を少しよそに向けて落ち着きなさい、ということだろう。母自身がそれを誰か、おそらく祖母か、年かさのおばたちとか、先輩の位置になるだれかに教えてもらってきたのではないかということ。

たくさんの女たちが目の前のことにイライラする自分を何とかしようと唱えてきたと考えると、いじらしくまた懐かしい。ひろい体温につつまれるような思いがする。
検索してみると阿蘇の方の民俗研究がヒットした。三回唱えるという。母は山陰の出だから、もっとあちこちに残っているに違いないと思う。

落ち着いてくると、何となくまたペンがするすると動き出す。描くことに目的をつくらないということのなかに何か、滅入るような気分に入り込まれてしまっていたかもしれない。
ちいさなひっかかりはどこにでもあるけど、現状は必ずほどける。それはすぐにかどうかはわからない。でもそれさえも生きている時間の中でとてもよくあること。

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