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伝える、ことができるしあわせ

友人のFacebookで投稿された衝撃の写真をみて固まった
友人の2歳のお子さんの小さな体に人口呼吸器、点滴がつながれた写真・・

「え!!!いったい何があったの!?」

投稿には2歳の誕生日、間近に発熱から急性脳症になり、意思疎通ができなくなってしまったことや、発症から1か月あまり経過しているが、いまだに痙攣が続いていること、回復しても麻痺が残る可能性があることが書かれていた

看護師なので、発熱から脳にダメージが生じる子供がいることは「知識」としてしっていたけど、まさか、自分の身近な人のお子さんがそんな状態になっているなんて、、、、、、

発症したその日から友人は病院に付き添いずっと闘い続けている

わたしが住んでいるのは埼玉県、彼女は北海道
気軽に会いに行ける距離でもなければ
気軽に面会に行けるような状況でもない

そんな状況の中でできるのは【祈る】ことしかない

他にできることと言ったら・・・・・

ヒーリング

実は過去、ヒーリングを学んでいたことがある
その時に、悪性腫瘍が見つかったワンちゃんにみんなで、ヒーリングを送ったことがあった、のを思い出した

その時のヒーリングの影響がすごくて

・ヒーリングの直後、ご飯が食べれなかったのにご飯を食べた始めた
・具合が悪くてお出迎えもできなかったワンちゃんが、いつものようにお出迎えをするようになった
・極めつけは、ヒーリングの数日後に病院を受診したら、獣医さんから
「腫瘍が小さくなっているから、手術しないで経過を見ましょう」と
腫瘍そのものにも影響した!

ってことがあった

正直、そんなことってあるの!!って半信半疑だったけど、
そんな現実を【確かにこの目で見た】から

友人に連絡してヒーリングを送らせてもらえないか聞いたら
ぜひ!やってほしい、と言ってくれたので、
今回も仲間に声をかけて
遠隔ヒーリングをさせてもらうことができた

※スピ系の話が苦手な方はスルーしてください

つい、数時間前にヒーリングを送らせてもらったら
仲間とヒーリングを送った時にみんなが口をそろえて

・「まま」って言いたい気持ちが伝わってきた
・のどが詰まっている感覚を受け取った
・伝えたい気持ちが伝わってきた

という感想が寄せられた

わたし自身もなんどもヒーリング中に

「まま~、まま~」って声が聞こえてきて、涙が勝手に頬を伝ってくる

ヒーリングの最中に声が聞こえてきたのは初めてのことで
よっぽど、自分の声でままって呼びたいんだろうなって受け取った

この、ヒーリングがどんな効果があるのか今はわからないけど
友人のお子さんへのヒーリングを通して

自分の声で気持ちを伝えられること

大切な人の名前を呼ぶこと

大切な人に触れることができる


そんな、当たり前のことが当たり前にできることって
本当はとても尊いことなんだって
2歳のちいさな子を通して気づかされた

朝目が覚めて、自分で起き上がってトイレに行って
「おはよう」ってあいさつして、いつもの日常を送れることは
本当は奇跡で、その奇跡が自分の手からこぼれてしまうこともあるってことを忘れていたような気がする

数か月前に、マックでレジ待ちをしていた受験を控えた女子中学生が
いきなり刃物で襲われて亡くなった事件とか
交通事故で奥さんと小さなお子さんを同時に亡くなった事故とか

世の中には、数えきれない不慮の事故や事件が起きているなかで
今日、当たり前の日常が目の前で繰り広げられていることが
実は奇跡の連続で何一つ、当たり前じゃないんだ

でも、わたしはすぐにこの奇跡を忘れて
あれがいやだ、疲れた、お金がない、時間がないだの不満を口にしてしまう性分なので、今の気持ちを忘れないように書いておこうと思った

こうして、自分の気持ちをnoteに書き綴っている時間だって
他の誰かからみたらものすごく贅沢で
奇跡のような時間なんだろうな

そして、今目の前の人が当たり前に存在してくれることだって
本当は奇跡そのものなんだ、と思う。

もしかしたら明日、私が死んでしまう可能性だってあるし
考えたくはないけど、
家族が事故に遭ってしまう可能性だってゼロじゃない

伝えられるその口があるうちに
伝えたいことは伝えたほうがいいし
わざわざ口に出さないことこそ、伝えた方がいい

そんなことを平凡なわたしがnoteに書くよりも、
大切な人にありがとうや大好きを伝えることの尊さを語りかけてくれる
素敵な詩を紹介します

これは、アメリカ女性が10歳の娘さんを亡くし、その悲しみを綴った詩で
9.11の同時多発テロの時に反響を呼んだ詩です

多くの人に読んでもらいたい、と本文がすべて掲載されています。
以下はその抜粋です

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最後だとわかっていたなら
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


この詩がひとりでも多くの人に届きますように
そして、友人のお子さんが回復に向かい
「いつもの日常」にもどれますように


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