八方美人は悪い事?

とある友人が、「私、八方美人な奴大っ嫌いなんだよね。全員に良い顔して手柄をとるなんてムシが良すぎる。そういう奴見ると嫌になる」と私に言った。私は「アハハ、◯◯はハッキリした性格だからそう思うんだね」と笑って返した。私は、八方美人だから。

一瞬、「私も八方美人だけど?私の事も嫌いってこと?」という言葉が口をついて出そうになった。喉元まで言葉がこんにちはしていたが、なんとか堪えた。おそらく彼女は、私に対してではなく世間一般の、あるいは彼女自身の職場の人間に、そう思っているだけなのだろうから。私が本音を言ったところで、「そんなつもりじゃない!天刺し定食はそんな感じじゃないし!」と返されるところまで浮かぶ。きっと本当に彼女に悪気はない。まぁ悪気がなければ何言ってもいいのかと言う訳ではないが。

それからというもの、八方美人の是非について何となく考えてしまっている。八方美人側の言い訳としては、「わざわざ人の機嫌を損ねる必要なくない?言い方変えれば角が立たずに済む話なのに、なぜ人の神経逆撫でする言い方をするのかが理解できない」である。私は人の機嫌というものについて過度に敏感な節はあるが、それにしても「言い方を考えれば?コミュニケーションに対しての怠慢だろ」と思わずにはいられない。私は意見を言うなとは言っていない。むしろ、良いゴールを目指すには意見の多様性が不可欠だとすら思っている。ただ、人の意見をバッサリ否定せずとも、クッション一つ挟めばもっと円滑になるのにと思う。おそらく、彼女にとってこのクッションは不要で、無駄なものなのだろう。
私にとっての気遣いは、きっと彼女にとって不要なのだ。でも、私はきっとこれからも、彼女に対しても他の人に対しても、八方美人をやめない。やめ方も分からない。そうやって人生を歩んできた。自分が頑固親父のようで嫌になるが、28年も生きてきてこれから性格を変えろというのも実際難しい。

まず、人に本音を話しても無駄だと思ってしまう。話したところで結局声の大きい人間が勝つようになっているんだし。他人に対する諦めが少なからずある。人は変えられない、自分が変わるしかない。そんな事を繰り返していたら、気付けば『NOと言えない日本人』がそのまま出来上がっていた。キューピー3分クッキングもびっくりのスピードだ。
自分が折れれば穏便に済む、この考えは大変不健全だとは思いながらも、長年蓄積された垢は中々落ちない。別に自己犠牲が美しいとかそういう話をしている訳ではなく、ただ面倒くさいのだ。さっきコミュニケーションの怠慢だなんだと言っていたのはどの口だ。私の方が余程怠慢だろ、と書いてて思った。やっぱり私が悪かったです。

私は八方美人をする。だが、それを誰にも悟られないように努力はする。それでなんとかならんでしょうか?なりませんね。ごめんね、八方美人で。八方ブスよりマシじゃない?などと思うクリスマスであった。

この件に関して(私がNOと言えない日本人すぎる問題)については、また機会があれば書きたいと思っています。


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