公務員でもないのに官公庁を転々と巡っていた頃のお話。紅猫堂の非常勤体験記
こんにちは紅猫堂です。
前期の朝ドラ「虎に翼」で寅子の赴任先として家庭裁判所が登場していましたね。何気なく見ていたんですが「あ、そういえば私、家裁で働いた事あったっけ」と記憶が蘇りました。せっかくですので家裁を含めたさまざまな官公庁で私が経験したウラ話を記して行こうと思います。
特に意識しだ訳でもないのですが、いつの間にか「官庁の非常勤ループ」(と非常勤仲間が勝手に名付けていただけ)に捕まり、あちこちの官公庁を渡り歩く羽目に陥ったことがありました。官庁は雇用期間が年度で区切られるので、任期が満了に近くなると有無を言わさず最後通告があり「そろそろ次の仕事探さなくていいのか?」と毎度上司から声をかけられたものです。
法務局の登記課からスタート。
労働局職業安定部
税務署(確定申告補助)
防災ヘリ(委託を受けた民間の航空会社)
国立病院薬剤科(薬剤助手)
家庭裁判所総務課(産休代行事務官)
とまあ、数年にわたってリアル人生ゲームのような日々を過ごしていました。その間に産業カウンセラーの資格を取り、土日は試験監督官のバイトで食いつないでいたのです。
それでも年に一度のSMAPライブだけは欠かさずに行ってました。
最初の「法務局」を選んだのは、その直前には少々社会に揉まれすぎて、寛解していたパニック症状が再発したせいです。それにライブ参加のために土日祝はフリーにしておきたかったから。そうやって消去法で絞って行ったら必然的に官庁になったわけです。
民間で10年勤めた事務経験があったので、仕事への抵抗も特になく、むしろ名だたる官庁の裏側の実態を垣間見ることが出来て、心の中で面白がっていた不謹慎な非常勤でした。
業務内容を詳しく書いても今の時代にはそぐわないと思いますので、行った先々で印象深かった事などを。
法務局登記課:法務局って何をするところか知っていますか?ふつうは遺産相続のときくらいしか用がないので案外知らない、という方もいらっしゃるかも。年配の方でしたら「登記所」でも通りますね。要は土地や建物といった不動産の権利関係を扱うところです。他にも人権問題や選挙の供託も法務局の仕事です。初日の事務手続きを終えると、いきなり窓口担当。書類を受け取る側になって初めて申請書の「フリガナ」の大切さを知りました。ひとりひとり正確に名前を呼ぶって予想外にタイヘン。最初はお経のように唱えていた「チセキソクリョウズ」「ショウギョウトウキ」「ネテイトウケンセッテイ」「キョウドウタンポモクロク」「ブンピツトウキ」等の固有名詞が日を追う毎に意味を帯びて来るのが分かったときは嬉しかったですね。任期が切れる頃には「登記小六法」と「民法」の本を購入してしまうほど面白くなっていました。
労働局職業安定部:ちょっと悲しい思い出。私の席の斜め向かいに座っていた方は、甲子園野球が大好きな柔和で優しい主任でした。その方がある日「ちょっと風邪っぽいから病院に行く」と言って早退したきり翌日になっても出勤せず、そのまま帰らぬ人となりました。あまりに突然の出来事で、私的には生まれて初めて心の中にたくさんのかすり傷が残った感覚でした。
税務署:税務署に確定申告の電子申告入力システムが導入されたばかりの頃に来庁者の案内役として短期の雇用でした。2時間程度の説明のあと、配られた腕章をつけて「分からなくなったらすぐ職員を呼べ」と言われて来庁者の中に放り込まれました。入力手順を説明するにはその方の申告書の内容を見なければならず、今だったらコンプライアンスに引っかかりまくるに違いありませんね。自分には一生縁のないような項目にかなりの数字が入っていたのを見て速攻で職員を呼びました。桁違いの寄付をする人ってホントに居るんですねえ。
防災ヘリ:県から委託を受けた航空会社だったので勤務先は当然郊外。家からバスを2台乗り換えて出勤するだけで90分以上かかりました。でも無線室があったり整備室があったり、バカでかい格納庫があったりして好奇心をくすぐられまくる職場でした。整備士の方からプロペラを10㎝ほどにカットしたものを頂いてペーパーウエイトにしたり、お正月の初飛行に他の女子社員と一緒に乗せて貰ったり。一度だけヘリが猛吹雪の中を現場から戻って来るのと同時に救急車が着いたことがあります。室内の窓越しに見ていたんですが、ヘリからストレッチャーが降ろされて救急隊と看護師が手早く車に移しサイレンを鳴らして瞬く間に走り去って行きました。まさにリアル・コードブルーそのものでした。
薬局と家裁は(記事が)かなり長いです。
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