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フライフィッシングとの出逢い

高校三年生の第二学期のある日、私は図書室で偶然目にとまった一冊の本を手にとった。
それが始まりだった。

高校生になった私は悪友達との遊びに夢中になったり、恋に溺れたりと魚釣りからすっかり遠ざかってしまっていた。
高校三年生ともなると、進学や就職活動といったこともあって、いつまでもキリギリスのように遊び暮らすことはできなくなる。
まわりの仲間達はは少しずつ大人になっていった。
相変わらずキリギリスのように遊び暮らしていた私は、夏休みに約3年ぶりに岩魚を釣ったことをきっかけに眠っていた釣り熱が蘇ってしまった。
以前にも増して釣りに夢中になってしまった私が手にしたその本のタイトルは
「渓流釣り Vol.9」
著名な渓流釣り師達が寄稿した渓流釣りにまつわるエッセイを載せたものだった。

高校三年生の二学期に図書室で偶然手にした本


高校の図書室になぜこんな本があるのか?今思うとその事自体不思議なのだが、惹き付けられるようにその本を手にしていた。
立ち読みでパラパラとページをめくっていた手があるページで止まった。
そこには見たこともないような綺麗な鱒と、それに添えられるように置かれた格好良い釣具が共に写っている写真が載っていた。
受付へ行き貸出の手続きをしたが、その本を借りたのは私が最初だった。
1993年に発刊されたその本は誰の目にとまることもなく、1年間ずっと私がやって来るのを待っていたのかもしれない。
家に帰り、その写真が載っていたページに書かれた文章に目を通した。
そこには私が今まで知らなかったアメリカの鱒釣りに関すること、アメリカに生息するネイティブトラウトに関することが書かれていた。
アメリカの鱒釣り場の中には厳しいレギュレーションが敷かれているところがあり、そこでは釣法はフライフィッシング(西洋式毛鉤釣り)のみであること、釣り上げあげた鱒の持ち帰りが許さておらず、リリース(放流)することが原則とされているといったようなことが書かれていた。
また、アメリカには全23種の野生鱒が存在し、筆者はそれら野生鱒の探査釣行をしているとのことだった。
驚きだった。
釣法の制限も無く、釣り上げた魚は根こそぎ持ち帰ることが常識とされている日本とは根底から異なる価値観。
「なるほど、こんなにも美しい鱒が釣れるのにはそれなりの理由があるんだな」
そう思った。
棹やリールといった道具も洗練されていて格好良く、そこには独特の世界観があるように思えた。
「フライフィッシングか…やってみたいな」
そう思った。
「将来アメリカに行って美しい野生鱒を釣ろうと思ったら、フライフィッシングしか許されていないわけだから、これはやるしかない!」
そう思った。
この日、この本に出逢っていなければ、今現在私はフライフィッシングをやってはいなかっただろう。
一冊の本との出逢いによって人生が変わることもある。
そんなお話でした。

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