ポケモン赤緑世代の一人として、昔と今のアニポケについて思うこと

ずーっと思っていたこと。
どこにも書く機会がなくてずっと心の中にためていたけど、せっかくnote立ち上げたし、もしかしたら似たような事を感じている人もいるかもしれないので。

(年齢バレしてしまうが)自分は同学年に昭和生まれと平成生まれが入り乱れる年の生まれで、ポケモン赤緑を小学生でガッツリやっていた世代なわけです。当時通っていたスイミングで3、4歳くらい年上のお兄さんがやっていたゲームをみんなで横から見て「何これ、めっちゃ面白そう」って思って親に買ってもらったのが、ポケモンを始めたきっかけなわけです。夢中になり過ぎてよく親にゲーム機を取り上げられていましたが、そういう時はずっと攻略本を眺めていたほど、ゲームのポケモンが大好きだったわけです。
それまでゲームといってもマリオカートや星のカービィといった単純なアクションものしかやっていなかった自分にとって、育成RPGであるポケモンとの出会いは衝撃でした。愛らしいキャラクター達の成長物語を、ゲームボーイを通じて何度も何度も追体験しました。

程なくして、どうやらポケモンのアニメがやっているらしいという話を聞きました。(余談ですが、自分は結構習い事をやっており、アニメがやっている時間帯に家にはいないため、意図してビデオに録画しておかないとアニメが見れませんでした。懐かしいね、ビデオ)
というわけで途中からアニメを見始めたわけですが、ビデオに録り損ねていることもしばしばあり、今振り返るとそれほどちゃんとは観れていなかったのかもしれません。どの辺りから、どういう順序で見たかも覚えていません。後述しますが、最終的にそれほどアニメには興味を持てなかったので、ある1話を除いてほとんどの話は印象に残っていません。

ポケモンというコンテンツはとても息が長く、今の若者も当たり前のように知っているコンテンツだと思います。SVをやっている人も自分より若い人が大半かと思います。
若い方々は初代ポケモンの時代をよく知らないと思います。もしかしたら、「当時の子供たちはアニポケ(当時こんな呼称は無かったですが)が大好きで、みんなサトシやピカチュウを毎週楽しみに待っていたんだろう」と思っているかもしれません。

けれど、少なくとも自分は違いました。

地面タイプに当たり前のように電気技で攻撃できる。ゲームでは覚えない技を当たり前のように使う。そもそもなんでジムリーダーがジムを離れて一緒に旅してるんだ。毎話一々ちょっかい出しては飛んでいくロケット団は一体何なんだ、アンパンマンでも見せられているのか?

見れば見るほど、アニメへの魅力がなくなっていきました。

最も、というか唯一印象に残っている話はナツメ戦です。前週にゴーストを仲間にするようなくだりがあったものの、ゴーストでどうやって倒すんだろう?(当時ゴーストタイプの技はほぼなく、エスパー最強だった)と思って見ていたら、なんとロクに勝負もせず、ナツメを笑かして勝ったことになっていました。この時の気持ちは今でもよく覚えていますが、自分はこの日以降、アニメに期待するのはやめることにしました。
そのあとも一応、惰性で見てはいましたが(友達との話題もあるしね)、見るにしても一定の距離をおいて見ていた記憶があります。

世間では「ナツメのトラウマ」という言葉がよく使われます。曰く、ナツメの狂気的なキャラクターが子供たちにトラウマを植え付けたんだとか。そんなこともあって、初代アニメのナツメ回というのはちょっとした有名回だったりします。
しかし、少なくとも自分にとってのナツメ回の印象は全く異なります。確かに人間を人形に変えてしまう設定は衝撃的ではありました。が、そんなことはどうでも良くなるくらい、「戦わずしてバッジを手に入れた」という事実が、自分にはどうしても許せなかった。なぜサトシがゴールドバッジを手にできたのか、どんなに理解しようとしても全く理解ができなかった。

当時、10歳前後という年齢ではありましたが、その短い人生経験でも「フィクションのギャグ展開に辻褄を期待してはいけない」という事くらいは当然心得ていました。コロコロコミックを筆頭に、ギャグで終わらす類のフィクションも自分は普通に好きでした。しかしながら、アニメポケットモンスターは単なるギャグアニメではなく、一応は「ポケモンマスターを目指す」という目的の元で展開されていく連続性のある物語だと思っていたので、要所要所では曖昧に終わらせずにちゃんとした展開が描かれるはずだと信じていました。そしてジムリーダー戦はその「要所」に当たると、少なくとも自分は思っていました。
もちろん、小学生当時ここまで精密に言語化できていたわけではありませんが、言語化できないまでも、直感的にはこれらの事を理解した上でアニメを見ていた記憶があります。なので、ナツメ戦では当然、ちゃんとしたバトルが行われ、それを通して何かしらサトシ達の成長のきっかけが描かれるものと思っていました。どんなバトルになるのか、どのポケモンが活躍するのか、ということをあれこれ妄想を膨らませて、楽しみにしていました。

ですが、結果として、まともなバトルが描かれることはありませんでした。サトシやサトシの手持ちの誰かしらに対する成長が描かれることもなく、ただただゴタゴタの末にサトシの手にゴールドバッジが渡った。少なくとも小学生の自分にはそういう話にしか見えませんでした。
これまで原作との違いや幼稚な展開に憤りを感じつつも、なんとか自分の中で折り合いをつけながら見てきましたが、この時ばかりは、どう足掻いても折り合いをつけることができませんでした。
フィクションを見て、これほど「悔しい」という感情を抱いたのは、後にも先にもこのときだけだったと思います。

「ああ、これが大人のやり方か。大人って汚いな。」と、当時小学生だった自分は思いました。きっと、ゲームのポケモンをほとんどプレイしていない大人が「子供なんてこんな感じにしとけば喜ぶんだろ?」みたいなノリでアニメを作っているんだなと。「子供に物語の辻褄なんて理解できないだろ?」という舐めた考えで作っているんだなと。自分が大好きだった赤緑の世界観がぐちゃぐちゃに崩されていく様を見て、そんなことを思っていました。
今にして思えば、「ポケットモンスター」とかいう得体の知れないコンテンツをアニメとして成立させるために色々と腐心していたのだろうな、という見方もできます。それに、あのアンパンマンライクな話の展開を見るに、自分はすでに対象年齢から外されていたのかもしれません。しかしながら、当時の自分はそんな大人の事情を情状酌量できるほどマセてはいませんでした。

そんなわけで、正直に言って、自分はサトシやピカチュウに大した思い入れがありません。若い世代の方々には意外に思われるかも知れませんが、これが、ポケモン赤緑ブームのド真ん中を生きた一人としての、偽らざる本音なわけです。
もちろん、自分のような意見の持ち主は多数派ではないと思います。しかしながら、完全なマイノリティかと言われるとそうでもないような気がしています。自分ほどひねくれてはないにせよ、「ピカチュウがあんなに強いわけないだろ」くらい言う友達は結構いましたから。巷で思われているほど当時の子供たちはアニメポケットモンスターを真正面から楽しんでいたわけではなく、ちょっと冷ややかな目で見ている子供も一定数いたのが事実だと思います。

そんなこんなで、アニメはおろかゲームのポケモンにも触れることがなくなったまま、悠久の時が流れ、2020年春。庶民にはなんの馴染みもない豪華客船で不穏な流行り病が出たとかいうニュースが流れ、人はなるべく外に出るなという時勢が突然訪れます。テレビ業界も新たな番組制作が行えなくなったようで、暫くの間、過去のドラマやアニメの再放送がやたらと流れだすことになります。

そんな折、とある平日の夕飯時にテレビを付けると、当時発売されていたソード・シールド版のポケモンのアニメがやっていました。(あとで知りましたが、先のコロナ禍の事情で何話かピックアップして再放送をしていたようです。)
当時、年中さんに上がるかどうかの年齢だった一番上の息子がそれに釘付けになったため、それならばと毎週録画してあげることにしました。長らくお世話になった「おかあさんといっしょ」等の幼児向け番組を卒業する機会であったとともに、自分にとっては約20年振りくらいのアニメポケットモンスターとの再会の機会でもありました。

で、録画してあげると、毎日のように繰り返し見るわけです。そうすると、一緒に生活する自分も何度も見ることになるわけです。最初は特段興味を持っていませんでしたが、何度も目にするうちに、次第に好印象を抱いていることに気づき始めました。
まず、自分が子供の頃に感じていた原作改変感のような違和感がほとんどない。これは、うまく理由を言語化できないのだけれど、なんかすんなり話を見れる。子供の頃に見ていたアニメとは全然違う。何だろう、この感じは、と色々考えて、はたと気がつくわけです。
きっとこのアニメを作っている人たちは、子供の頃にたくさんポケモンで遊んだ人たちなんだろうな。根拠は全くないけれど、とにかく、自分と同じような解像度でポケモンの世界を見ている人が作っている気がする。そんな感覚を覚えたのです。
何より主題歌がとても良かった。子供向けらしいキャッチーさはあるが、メロディやリズムが少し複雑で、良い意味で子供向け過ぎない。何より出だしの電子音。子供と親世代の両方を端的に狙い打っている。してやられた。子供だけでなく自分もすっかりハマってしまいました。(その後、「いつか子供がやるだろうから、親として先に様子見しておこう」とかいう理由をつけてNintendo Switchと剣盾を買う未来が訪れるわけです)

もちろん、気になる点も少し残っていました。ピカチュウがやたら強いのはもう置いとくとして、ロケット団が未だに現役なのはどうしても見ていて複雑でした。潔く身を引くサカキの美学が、無きものにされている。小学生当時、一度姿を消したら二度と表舞台には現れない(金銀で信者が呼びかけても現れることはなかった)サカキというキャラクターがすごく好きだったので、アニメを成立させるためには仕方ないとはいえ、ムサシやコジロウを見るたびにどうしてもモヤモヤした気持ちがありました。同時に、アニメを作っている人たちも、もしかしたらこういった細かいモヤモヤを感じながら作っているのでは?という疑問も抱き始めていました。

そこへ来て、スカーレット・バイオレットの発売と、それを機にアニポケ刷新という知らせ。自分は一人で勝手に、先の疑問を確信に変えていました。一切のモヤモヤを消すには、これしかないよな、と。
そして、かつてのアニメポケットモンスターからは想像できないくらいにオシャレで大人びた主題歌と共に、リコとニャオハによる新アニポケのスタート。第一話を見て、自分の確信がより強いものになりました。アニメ制作陣、みんなずっと、これをやりたかったんだろうなって。ていうか、俺だって子供の頃にこういうのが見たかったよ。

ネットでは「子供がついてこれないのではないか」みたいな意見も結構見かけましたが、子を持つ親として、自分は全くそんなことは感じませんでした。
そもそも、ポケモンはRPGのゲームです。子供向けとはいえ、文字が読め、話の展開を理解し、簡単な計算ができるような子が対象です。ポケモンというコンテンツを使ってアンパンマンをやっていた今までのアニメがあまりにも子供向け過ぎたのであって、ようやく対象年齢がゲームに近づいたと考える方が適切です。何よりうちの子たちはみんな楽しんで見ているので、しっかり子供には届いています。

ストーリーに関しては、あえてゲーム本編とは全く異なる目的が設定されていました。こうすることでゲーム本編との無駄な矛盾が生まれることもないですし、個人的には昔のアニメよりはるかにすんなり受け入れやすいです。もっとも、ゲームとは全く異なるシナリオを一から用意する必要があるわけで、構想には非常に労力がかかっているんだろうなという気はしていますが。(アニメ制作のいろはも知らない人間が苦労を分かった気になるな、とは言われている)

そしてニャオハ。就学前後の娘を持つとよく分かりますが、ニャオハというポケモンの女児人気は凄まじいものがあります。ポケモンSV発売の翌年、娘の誕生日にニャオハのぬいぐるみを買ったのですが、念願のニャオハを手に持った娘と公園に行ったところ、たまたま会った娘の友達3人が3人とも「私もニャオハのぬいぐるみ持ってる」と言っていました。
おそらく世間が思っている以上に、ニャオハは”あの”ピカチュウの後釜としてはかつてない程に最適なポケモンです。語弊のある言い方をすれば、新たな「金のなる木」になり得ます。にも関わらず、アニメ上はホゲータやクワッスとほぼ平等な扱いですし、何よりリコのニャオハは1年ちょっとで進化しました。自分はここに、アニメ制作陣の強い意思を勝手に感じています。ポケモンの世界観が崩れるようなマネは絶対にしないぞ、という、強い意思を。

もちろん、こういったことはポケモンがある程度コンテンツとして成熟しているからこそできることなのだと思っています。そして、ポケモンがそこに至るまでには、多少世界観が崩れてもピカチュウやロケット団のような圧倒的なキャラクターが必要だったんだろうな、ということも一定の理解をしています。
ですが、やっぱり自分が小学生のときにアニメを見てガッカリしたのは事実なわけです。別に今更どうこう言っても仕方がないのですが、一番言いたいのは「別にポケモン赤緑にハマっていた当時の子供たちみんながみんなサトシやピカチュウを毎週楽しみにしていたわけじゃないんだぞ」ということ、そして、「何なら今のアニメの方がめちゃくちゃ好きだぞ」ということなのです。

どうも、視聴率とか再生数なんかを見て、「今のアニポケはオワコンになっている」と思っている人がいるようです。もちろん考え方は人それぞれなのですが、少なくともある程度、今のアニポケやそれに対する子供たちの反応に直接触れている自分の肌感覚からすると、全然そんなことはないと思っています。もちろん何の根拠もありません。私自身、数字とか客観的根拠で何かを語るということがあまり好きではないので(仕事でもないのにそんなことをして何になるのかよく分からない)、徹頭徹尾、自分の肌感覚だけで話してきました。もちろんアニメ制作陣か本当にどう思っているかなんて分かりません、それも自分の感覚に基づく勝手な妄想に過ぎません。

肌感覚ついでにもう一つ。最初の頃のネットの感想なんかを見てると「旅の目的が分からない、説明不足で面白くない」という意見が結構多い印象がありました。この感覚は、正直言って自分にはよく分かりませんでした。だって、色々分からない方が想像膨らんで面白くない?あと、女の子向け過ぎるという意見もありましたが、いやいや、小学生男子って妄想大好きだし、こういう展開大好きだと思うんだけどなあ。ペンダントの正体とか、それこそリコの生い立ちだとか。ゲーム本編に出てこない設定やキャラクターだからこそ妄想も膨らむしね。ゲーム本編の設定を捻じ曲げているわけでもないし。少なくとも自分が小学生の頃に見てたら大好きになっていたと思います。

ものすごく強引な例えをすると、自分が子供の頃にやっていたデジモンのアニメに近いようなワクワク感を今のアニポケに感じます。あれだって正直最初は何がなんだか分からない所から始まるし、だからこそ当時の子供たちはワクワクして楽しんだわけです。デジモンも、日によっては見れなかったりもしましたが、そういう日はめちゃくちゃ悔しかった。ポケモンのアニメを見逃したときには、そういう感情はほとんど湧かなかった。デジモンのアニメの思い出はたくさんありますが、ポケモンのアニメの思い出は「ナツメのトラウマ」意外に残念ながらありません。ゲームとしては断然ポケモンの方が好きだったはずなのに。

とまあ、色々語っておりますが、言うて現アニポケを毎週しっかり欠かさず見ているわけではありません。急に冷めたことを言うようですが、こちらもいい歳した大人ですから。子供たちが見ているタイミングでたまたまリビングにいる時に、横目で見る程度です。なので、じっくり見たら、もしかしたらこの肯定的な感想も変わるのかも知れません。というか、そりゃ子供向けのアニメを毎週30分もじっくり見たら「おもんねーわ」という感想になるだろうと思います。そんな野暮なことはしません。ただ、子供たちが見ているのを横目で見る限りでは、「子供の頃にこんなアニメに出会えてたら幸せだっただろうな」と感じるのです。そしてそのことは、実際に今のアニメを見ている子供たちの反応からも確信を持って言えるのです。

ということで、言いたいことは大体言い終わったので、この辺で締めたいと思います。脈絡のない長文でしたが、ここまで読んでくださった方はありがとうございました。

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