神の島と、しらすの島
ふと、島に行きたいと思った。島はいろいろあるけれど、素朴な島を訪れたい。地図を見ると、伊勢湾にふと目が止まる。ここにいくつか小さな島がある。伊勢の鳥羽港から、坂手島、菅島、答志島、神島へ船が出ているようだ。その中の神島という名前に惹かれる。泊まるところを探してみると、宿のホームページに三島由紀夫が滞在した島であることが記されている。神島、三島由紀夫。島の詳細を調べる前に、ここに行くことに決めた。
神島は、四島の中で鳥羽港からいちばん遠い。船で30分、というとそうでもないかもしれないが、愛知県・渥美半島先端の伊良湖港からは15分で着く。三重より、愛知に近い。船から神島を眺めると、背景に渥美半島が見える。夏が少し戻ってきたかのように暑い、昼下がり、神島に降りた。
下船した人が散り散りになると、すぐに静か。堤防には、釣り人の姿が見える。宿に荷物をおいて、すぐ島内散策。4kmほどの周遊道で、島内をぐるっと回ることができる。神島は、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった。三島由紀夫が滞在して、同小説を執筆した部屋が、今もそのまま残っている。
周遊道を歩く。八代神社、神島灯台、監的哨跡、ニワの浜、古里の浜…と回る。灯台で数人の旅行者グループを見かけた以外、途中に人はいない。静かな島。
島の裏手は、船の通り道。伊良湖水道。伊勢湾に出入りする大型コンテナ船も見えた。浜は島の裏手に少し。
汗だくで4kmの周遊道を歩き終えた。途中出会った猫は一匹。カメラを向けると、飛んで逃げた。昔は、800〜900人もの人が住み、宿も10軒ほどあり、商店もいろいろあったそうだが、今は人口300人ほどで、商店はないそうだ。陽が沈んでいく。神島は夕日が似合う。
宿には、映画「潮騒」のロケ写真が飾られていた。当時の賑わいを想像させる。「なんで神島と言うんですか?」と聞いてみた。「さあ、なんでやろね?」と、島の人は、少し微笑みながら答えた。
翌日は、一度、鳥羽港まで戻ってから答志島に行く。船で15分ほど。答志島は、鳥羽に近い方から、桃取、和具、答志の3つの港がある、長い島。
島の右手に、和具港と答志港があって、2つの港の間は、徒歩30分弱ぐらい。この島は、鰆(さわら)としらすの島(と、看板に書いてあった)。港には、魚を水揚げして、せりをするところがある。島に着いたとき、和具港では、しらすのせりの最中。そして、近くの工場では、しらすを釜揚げしているのか、潮の匂いが漂ってくる。天気もよく、しらすを干しているところも見ることができた。
和具の港では、鰆(さわら)も水揚げされていた。和具港に入ってくる漁船は、釣り竿を何本か抱えている。地元の人の話では、和具港は1本釣りで、答志港は、網で取る鰆が多いのだそう。島の食堂でお寿司で鰆のお寿司をいただく。
食堂では、もう一品、地元名物の「めひび伊勢うどん」をいただいた。めひびとは、めかぶのことで、独特のぬめりがある。つゆは濃い色をしているので辛いのかと思いきや、そうでもない。伊勢うどんの柔らかい食感は、他のうどんにはないもの。
料理もさることながら、この食堂で気になったのは、テーブルに貼られていた新聞。そこには、答志島の「寝屋子制度」の記事が載っていた。この島では、人望の厚い家を「寝屋」に選び、中学を卒業した息子を、そこに預けるのだとか。子どもは自分の家で寝ないのですね。そして、寝屋に泊まった者同士の絆は一生涯、固く結ばれるそうだ。
他にも答志島には独特の風景がある。島を歩いていると、丸に八の字が書かれた家や建物を見かける。これは、島内の八幡神社に由来するお守りだそう。島を歩くと、玄関に「蘇民将来子孫門」と書かれた札が掲げられた家があったり、戦国時代の水軍の将・九鬼嘉隆の首塚や胴塚があったり、独特の風習・文化の濃い島。
港のせりをもう少し見ていたい…と思いつつ、船が迎えに来たので、鳥羽へと戻った。