見出し画像

昔の保育士の現状

「あの当時は期末手当もないし、昇給はわずかということで、"こんなことでは保母はいい仕事ができないのではないか、保母の身分をもう少しよくしなければ、保育内容を高めることや子どもを守るとはいえない"というように、保母の身分保障を改善したい、社会的な地位を高めたい、研究の場も欲しい、とただひたすら思いつづけました。」

 この当時は、保育士の給与は月額平均7,200円(昭和31年)、期末手当ゼロという状態でした。超勤手当、通勤手当などもありませんでした。
 こうした状況のなか、「子どもたちの真まことの幸福を守るために保母は手をつなぎ、たちあがろう!」という呼びかけに賛同した人たちによって、昭和31年7月に「保母会」(「全社協保母会」と呼ばれました)として結実しました。
 その後、全社協保母会は、全国保母会、全国保育士会として名前を変えながらも今日に至っています。

保育士会のあゆみ|全国保育士会について|全国保育士会

国立国会図書館で今も発行している保育専門雑誌「保育の友」を見た。創刊1953年、当時まだ「保母さん」と呼ばれていた時代。カリキュラムの書き方や遊びの紹介、季節の行事や偉い先生方の文章など今と変わらない内容だ。その中で気になったのが給料の問題だった。1950年代当時の大卒の初任給が大体1万円、高卒で6千円、これは男性である。女性は9千円。当時の社会現状から男女差が激しい。保育士は7千200円。圧倒的に社会的地位が低いと見られる。当時保育士は給料が低い分、賞与や交通手当がなかった。こうした状況の中全国の保育士が集まり全社協保母会が結成される。今の全国保育士会だ。
当時の保育士さんが集まり、社会的地位を高くするため、保育士を専門職にしよう、国家資格にしようなど様々な働きかけを行ったおかげで少しは当時より社会的地位が高くなったのかなと感じる。それでもまだまだ課題はたくさんある。給料が安い、人手不足問題は昔と変わらないのが現状だ。


いいなと思ったら応援しよう!