判定日を前に:40歳、不妊治療はじめる前のはなし
採卵周期、移植周期とnoteで沢山の方の記事を読んで励まされた。特に飾らず正直な想いを吐露している記事には助けられたと思う。
noteをはじめてすぐに不妊治療を始めた成り行きについては書いてみた。
この記事では判定日を前に、もう少し深い自分の想いをシェアしてみようと思う。
まず私はこれまでの人生で子供を欲しいと思ったことはなかった。
そもそも子供は好きではないし、親戚にも子供が少なかったので、子供と遊んだりするのも得意ではない。
そのうえ仕事が結構好きだ。とは言え、手に職があるわけでも、クリエイティブなわけでも、頭が良いわけでもないので、どちらかというと昭和的にモーレツに働いて今の地位を築いてきた。そうやって昭和な組織のマインドが刷り込まれた男性を納得させるしかなかった。
子供がいたらどうなる?出産・子育ては大変なのは自明だし、今の日本の社会において、これまでの子供のいない人生によって得たキャリアを維持するのはほぼ無理ゲーだ。
「自分の人生で途中で間違えた、ミスったと思えば、また引き返したり修正すればいい。でも、これはそうではない。もし子供を持ったあとに後悔してしまったら?」
そう思っていた。そして、そう思う自分はなんて残酷な人間なんだろうと思った。
では、何がモヤモヤとしていたのか?
それは、産まなかったことを後悔「しない」可能性が「ゼロではない」ことだった。
とは言え、筆者の「ゼロではない」モノの正体は産みたいよりも以下4点だ:
夫をお父さんにしてあげたい
母をおばあちゃんにしてあげたい
父をおじいちゃんにしてあげたい
なんだかんだ40近くになって自分の人生のなんとなくの方向が見えたので、新しいチャレンジをしてみるのもアリなのでは?
最初の3つは、プレッシャーがあるという意味ではなく、心から純粋に「そうしてあげたいなぁ、あ、でも私しか無理だなぁ」という想いである。自分は心底自分の遺伝子を残したいとか、血のつながりがどうのこうのとか本当に思わない。でも、こんな人間でも自分の愛する人たちの人生が豊かになって欲しいなとは常々願っているわけで、そうなると「(不妊治療を)トライすらしないのはなんかもったいないな」というマインドがあるときからよぎるようになったのだ。
最後の1つは、とてもネガティブに聞こえるかもしれないが筆者はそう捉えてはいない。これまでの人生自分なりによく頑張ってきたと思うし、もちろんこれからの人生、現在では思いもよらないようなこと、良いことも悪いことも起きるかもしれない。けど、いずれにしても自分が今後スティーブジョブスのような世界を変える人間にも、世界中の人に感動を与えるような人間にもならないだろうことはわかった。別に悲観してるわけではなくただただ事実として。一方で、ここまの人生よく頑張ってきたからこそ、多少の困難、いや崖から突き落とされるような出来事があったとしても何とか自分の力で生活も心も建て直す術やノウハウは身についていると思うのだ。そういう意味だ。
これからも大・小さまざまなライフイベントもあるだろう。昇進・降格、転職、移住、病気、いろいろ。でも「なんとなくは方向は、見えた」のである。
だったら、自分ではどうすることもできない、即ち、自分の人生ではない他人の人生に責任を持ってみるという新たなチャレンジをしてみるのも、もしかしたらハラハラドキドキするかもよ、というマインドが、これもまたあるときからよぎるようになったのだ。
こうやって文章にして読み返すと、「私、産みたいの」みたいな発言がなくて、どんな奴なんだ?と思われるかもしれない。自分でもびっくりしていている。
それでも自分なりに考えた結果ごく自然な流れで不妊クリニックのドアをたたくことになったのだ。
私はクリニックに来ている方々の中で胸を張れる存在ではないのかもしれないし、そもそも母になれるかもわからないし、人間として良い人間なのかどうかもわからない。でも、世の中の偏見やしがらみに負けることなく、自分で考え、決断したプロセスを誇りを持っている。
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