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★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~ 」⑦切り札・開ける視界

※連載のあらすじ※

「自分のカラーや感性を大事にして生きる人」をコーチとしてサポートする丈二(joji)の、シンガーとしての挑戦記録。偶然うまれた機会から行うことになった1stLIVE(歌、語り)。しかもいきなり憧れの素敵すぎる場所(JZ brat)で行うことに。ドタバタの中で自分と向き合い、仲間と取り組んだ数々の学びや気づきを連載しています。
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感動と仲間の激励の中で前を向く事を決め (前々回の記事)、
実際に標的を直視した時に、それでも身がすくんだ(前回記事)。

そこで思い浮かぶひとつの考え。

もうなりふりを構っていられない。
とれる手段は使っていこう。

その時、切り札としたのは コーチングセッションだった。
※基本的にコーチのほとんどが、自分自身もコーチをつけている
 自分ではどうやったって盲点があるからだ※

コーチをしている私がこう書くと、業界の回し者のように聞こえるかもしれないけれど、そう見えたっていいくらい、この日に受けたセッションは私にとって革命的なものだった。

※今回は私がセッションを受けた立場だったが、私自身もコーチとして活動している。ガツガツと既存の社会の枠組みに順応して前に進んできた、というよりも自分らしい感性を生かして生きたいと思う人にはフィットしやすいセッションをしているのでピンときた方は、まずご相談からお気軽に。

突然の自己PRタイムから話を戻すと、
今回受けたセッションでは、
30数年間の人生でつねに陥ってきたパターンが解明されたと言ってもいい。

ここでコーチングとは何かを語りだすとキリがなくなってしまうので
そこは別の記事に譲るが、ひとつだけ確かなのは、
コーチングは霧が晴れるような感覚で視界が開けるものだということと、
巷ではさまざまなモノを総称したビッグワードのため、誤解されまくっているということだ。(一つと言ったのに二つなのは空気でスルーして欲しい)

コンサル的に何か売上の上げ方だとか具体的な知識を教えるものでもなければ、上から目線の講義を受けるものではない。

その日のセッションはこんな感じだった。
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困惑、当惑しまくった私が相談をはじめる。
"歌うことすら本当にwant to(やりたいこと)なのか分からない" 
かなりこんがらがった状態。

しばらく話したあとに、
「それはマインド(心/脳)のバグを取り除いた方がいいね」とあっさり言われる。ちょっとしたホクロの除去手術かのようだ。

自前でセーターを編もうとして、からまって進むも戻るもできなくなり、
糸の紡ぎ方を習う教室にきた、そんなような気持ちだった。
みるみるこんがらがっていた糸はときほどかれ、
しかも、人生のなかでいくつもいくつも、
言い切れないくらいに繰り返していた「混乱・迷子」パターンが
その1つの要素で綺麗さっぱり解明された。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーざっくりと説明すると、状況はこうだった。

①私にとって "真水を飲みたい" というのがしたいこと(want to) だとする

②そして、その水が真水かどうかを確かめる手段として、ヨウ素を入れてデンプン反応をみてみたり、カレー粉をまぜたりしていた。
( "これでもか、これでも濁らないくらいお前は本当に真水なのか" と試すように)
③そして、カレーやヨウ素で濁った水をみて、「これは真水じゃない。本当にやりたいことではなかったんだ」と失望し、「もっと濁りなき真水を」とあらたなものを探す旅にでる。

当然ながら、これでは永遠に「これだ!」にはいきつかない。
石橋を叩くどころかダイナマイトで爆破し、
ダイヤモンドカッターでも切れないものを自然界に探しにいく、そんなことをしていた。

こう書くと本当に滑稽でしかないけれど(笑)、
けれど多かれ少なかれ、人がおちいるパターンではないだろうか。
慎重になり、確実さを求め、より疑いようのないものを外側に求め、
そして永遠にそれは訪れない。

一方で、「歌すら本当に求めていたことではないのなら、それを越えるものとは!?」と、どんどんハードルだけが上がっていく。
その結果、何をしても間違っているような気がし始める。

まぁ振り返って一言で言うなら、アホである 笑
さすが哲学科を真剣に考えただけある、問いと懐疑を深める力だ、
とも言えるけど、それはさておき。

★はばたこう、自由に★

この日のセッション、後半はほとんど笑い続けていた。
勝手に自分でつくりあげていた檻に気付き、その制限がはずれた青空の下、
腑に落ちるほどに滑稽な過去の苦戦パターンが喜劇のようで、
おかしくて堪らなかったのだ。

小難しく言えば、抽象度が上がったと言える。
とらわれていた落とし穴に気付き、俯瞰で見えている視点を持てたからこそ、避けて通れるようになった。盲目だった視界がはれた。俯瞰で見えている視点を持てたからこそ、避けて通れるようになった。
そうなった上での解消法はめちゃくちゃシンプルだった。

具体的には、
「前提を変える」、以上だ。

before:「これが本当にやりたいことかを疑う」
具体的には、これをやめること。

after:「やりたいと思ったものはやりたいことだ」
そしてこれを前提とすること。
その上で、「何がhave to(不純物)として混じってしまったのかを見つけて、それをとりのぞくこと」

※たとえば、LIVEをしたい、のならLIVEはしたいこと、
 でも、「大勢よばないと体裁が悪いから」と不安になって、LIVE自体を疑いだすのなら、それは不純物が混じっているから。


書いてしまえば、そりゃそうだ、当たり前すぎると思う事。
それでも人は自分のことは盲点になる。
だから他者やコーチが必要なのだ。

コーチングを学んだりするあまり、
「今気づけていない、まだ見ぬ本音」を掘り起こそうとして、
もう本音だと分かっているものも疑ってかかる性質が暴走する、
それが私のパターンだった。

さて、視界が開けてきた。
青空だと思ってみたいたものが、実は天井に塗られた青い絵の具でしかなく、しかも自分が勝手につくった建物だったと気づいたような気分だ。
本当の外にでて、青空を仰ぐ。空気がおいしい。
もちろん、その営みはつねに繰り返されるのかもしれないけれど。

さて、マインドが解放されてきた。
その上で、自分はどんな場をつくりたいのだろうか。


次回、
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~
  ⑧"こうすべき" をすべて外したときに ~優しい無重力の中で~」

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連載の初回はコチラから
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~①はじまり 」

前回の連載はコチラから
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~⑥増す現実味 (本音だからこそ身がすくむ時) 」

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