#創作大賞2022 応募(#2/10)|何故、土木の学校に行こうと思ったのか?|廻り巡って結局のところ向き合う他にない。
期末テスト。
中3の期末テストの時には、テスト勉強をすることはありませんでした。
寝る前に、ベッドの中でテスト範囲の教科書に目を通すだけでした。
テストの回答用紙が配られて設問を読み始めると、「その教科書のP53の左下の方に書いてあったな~。」と映像が浮かんできました。
もちろん、ほぼ満点でした。
就職懇談会の時に初めて「偏差値」という数字が存在することを知りました。ただ気に留めた瞬間はその時だけでした。ご参考までに68~73という数字が記憶に残っています。
それが凄いだとか賢いだとか、全く興味も自慢の理由もなかったのです。
成績が良かった理由。
テスト結果が良かったのは、ただ授業中に一生懸命(恐らく真面目で良い子の振りをしていたかった)に集中して聴いていたことが理由となるのかも知れません。
漢字の読み書きと英単語の書きまくりは、確かに取り組んだ記憶があります。宿題や予習の前に、この「書きまくり」をすることで、雑音を跳ね除けて集中できることを知ったのだと思います。
ほぼ常に台所やリビングから、あまり気持ち良くはない言葉や口調が聞こえて来ていたからです。その雑音から逃げたい想いが、集中という時間を授けてくれたのだと思っています。
進学・就職懇談会にて。
進学・就職懇談会では、「何処にでも行けるよ。」「何がしたい?」「進学校でもいいし。」「男なら直ぐに手に職を付ける学校がいいんじゃない?」「大学に編入することだってできる専門学校があるよ。」
そんなことを助言して頂いた記憶はありますが、そこで何が起きるのかは、全く想像できる筈がありませんでした。
何よりも、時代の流れという背景もあったのだろうと思います。
「早く手に職をつけなさい。」
「一生、安定した会社に勤めなさい。」
「良い嫁さん見つけて、子供をたくさんつくりなさい。」
「孫の顔をみるのが楽しみ。」
「自分の城を構えなさい。」
「退職金で裕福に暮らしなさい。」
「チャーミーグリーンのCMのように、爺ちゃん婆ちゃんになっても手を繋いで仲良くしなさい。」
このような美徳へ反論する知識も勇気も、持てることさえ意識の中には全くありませんでした。これは仕方がないことなのかと、今では寛容に受け入れることができています。
こんな雰囲気の中で「5年制・工業専門高等学校」を目指すこととなりました。ちなみに「志望学科」を相談した経緯が頭の中に残っていないほど、明確な意志はなかったのだと思っています。
入試結果発表にて。
約5倍の第一志望「電気工学科」を滑って、約3倍の第二志望「土木工学科」に引っ掛かっただけでした。辞退する気持ちも、他校に挑戦する気持ちも「自らの燃える想い」は何も感じないままの入学となりました。
合格発表の時には、「喜んでみた。」そんな心境でした。
受験勉強とは。
受験勉強の苦しみという記憶はありません。先に受験用のテキストを3時間ほどして、その後に、ボディと弦の隙間(ブリッジ寄り)にタオルを挟んで消音効果を狙った工夫をした上で、黙々とギターの練習をしていました。
塾へは冬休みの5日間ほど、往復2時間(比較的近所)、電車の駅で3つ目の場所にある受験対策教室に淡々と通いました。ただ、その授業やそこでの模擬テストの内容は殆ど記憶にはなく、本番テストで役にたったという印象もありませんでした。
母が「行っておきなさい。」「お金の心配はいらないから。」と、この言葉だけで「良い子」を通してみただけなのかも知れません。
淡々と卒業。
クラス委員長や合唱大会の指揮者を務めてしまう所謂(形の上で)人気者、スポーツ(ほぼ)万能の優等生でした。
自分の想いを描いてみる、口に出して喋ってみる、楽しむためのことを考えてみる、笑ってみる。という自体に気付かないままの卒業となりました。
平たく言えば、何にも自分の意見のない奴だったのだと思います。
心を閉じ込め、塞いで、表面を飾り続けた弊害が大切な選択時に邪魔をしたのだと、考えることができるのかも知れません。
今となっては、いい歳をして責任転嫁の表現は避けたく、恥ずかしく感じるため言及は致しません。
こうして淡々と卒業式を終えて、5年制の専門学校へ行くこととなりました。
つづく
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
胸の内を全て書き出し終えるまで、向き合い直す他にありません。
「楽観の部屋」でしか、言葉にできないことに気付かされました。
書き出すことで生じる嬉し悲し複雑な苦悩の時が、暫くは続きそうです。
静かにお見守りを頂ければ幸いです。
_(._.)_
※ペコリ _(._.)_ は、誤字脱字(見直し)の確認の印です。
(発見された方は、是非ご指摘願います。真摯に受け止めます💝)
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※この記事の悩みどころ(表現や判断に迷った事などをメモしています。)
・「共感」を求めるための綴りではありません。ただ淡々と「飾らない言葉」で表現するつもりです。思考を曲げないために、妨げないために。ある意味でそう宣言します。自分のために。
※参考・引用など
<イメージ写真・動画など>
幾つもの峠を越えて|K-systemさん制作
https://www.photo-ac.com
以上