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#創作大賞2022 応募(#1/10)|何故、そんなに歪んでいるのか?|廻り巡って結局のところ向き合う他にない。

酒乱。

祖父の酒乱が全ての元凶だと言い切ると楽になります。
私が物心がついた頃(幼稚園の頃の記憶がある)には、酒で酔っ払って家中をめちゃくちゃにする喧嘩が絶えなかったのです。

酒を呑まない時の祖父は、人当たりも優しくて好きでした。
大理石などを磨く職人で、暇さえあればグラインダーや砥石の手入れをしていました。
その姿は、周辺に散らばる道具類を合わせて、興味深々の玩具(娯楽)の対象だったのかも知れません。

気前もよく、近くの駄菓子屋で一緒に買い物をしたり、お小遣いを(母ちゃんに内緒やで!と言いながら)手に握らせてくれたりしていました。だから大好きでした。

何故に大騒動になるのかを理解でき始めたのは、小学3年生の頃だったと思います。

職人なので、仕事がある時は結構良い手取りがあったようです。超ご機嫌で、母にお小遣いをあげている場面も何度か目撃した記憶があります。

(お父さん。止めてください。という発声も耳にした記憶もあるのですが、そこは証拠もなく今更と感じるため、これ以上を詮索しないようにしています。闇に葬りました。)

そんな微笑ましい光景となる真逆の時に、問題は発生していたのでしょう。


カレーライスの日。

せっかくテーブルに家族5人が揃った瞬間にです。

「わしにカレー食わせるんかっ!」

「刺身はないんかっ!」

「酒がメシじゃっ! 米粒なんか食えるかっ!」


「今日はカレーの日。みんなで美味しく召し上がりましょ。」
「お父さん。飲み過ぎですよ。」


祖父は父の父。いつも最初は優しい(私の好きなトーンの声で)口調で母は話し掛けていました。

ところがどっこい。その返事を待ってましたと言わんばかりに、何故に「卓袱台返し?」カレーを盛った皿がテーブルから滑り落ちるのです。


「ガッシャン!」「どちゃ」「チャラチャラ」。


「何をするんですか?!」「勿体ない!」「皆んなお腹も空いて、これから美味しく食べようっ!って言う時に!」


はい。もう終わりのパターンです。

テーブルの上の殆どは床に散乱して、食事は終了です。


ここで終われば、幸せでした。

最悪なのは、祖父のこの状態を怖がる父を、母が責める時です。

気の小さく優し過ぎる父は、言葉少なげに「なっ。もうええやんか。」

「なっ。ご飯は投げたりしたらあかんわ。」


「なにっ!」「口応えするんかっ!」「許さんっ!」


掴み合いのドタバタで、何処かの窓ガラスが割れるか、近所の人が通報してパトカーが到着するか、どちらかが無ければ終わりませんでした。

そんな事が、私が就職する寸前まで、ほぼ日常茶飯事でした。


酔った祖父は「人」ではありませんでした。

2つ下の妹へ。「お前は真っ黒で嫌いじゃ。」「そやけど、お前は可愛いのう。お小遣い未だあるか~?」

家族皆んなの前で平々飄々とこんな言葉を発するのです。

父は黙り込み。発狂した母は奇声をあげて罵ります。そりゃそうでしょう。当然だと、いつもそう思っていました。だけど、私からは何も言えませんでした。内緒でお小遣いをもらっていた卑怯な兄貴でしたから。


専門学校に通い出したある日のことです。

職員室から呼び出しがありました。


「早く家に帰ってあげてください。」


なんとなくですが、そんな日が来たのかと感じて慌てませんでした。

家に帰ると、直ぐに父に連れられて町の大き目の病院に行きました。

個室の入り口には、母の名のネームプレートが既に掲げられていました。


声は出ていませんでしたが、多分「ごめんね。」と言ってくれたのだと思っています。


思い詰めて・・・庭先の納屋の中で首を吊ったのです。


不幸中の幸いなのか、酔った世界では憎しみ合っていた祖父が、宙吊りの母を見つけて救急車を呼んだのだと、随分後になって聞かされました。

あと数分で生死がはっきりしていたそうです。

それまでもそうでしたが、これを境により一層、家族の会話も笑顔も全く見ることはありませんでした。

分かり易い説明は、テレビのバラエティーやコメディの番組を観ても、全く笑えない、楽しくない。そんな状況でした。

そんな空間と時間が長過ぎました。


外(近所)や学校で家の問題を取り上げられるのが嫌でした。

その話題とならないように、常に優等生(良い子)であることに努めていました。

父とは。母とは。夫婦とは。年寄りとは。祖父とは。家族とは。妹とは。愛情とは。仕事とは。生涯を懸けたマイホームとは。疑問だらけの中で胸の内に込め過ぎたことで、「歪み」が生じたのだと思えるようになりました。

父は既に他界しています。そのことを知ったのは最近のことで、手紙に添えられた「家系図」でした。既に「字消し線」が描かれていました。想像もしたことがなかった場所(地方)の土地の権利主張を確認する手紙でした。

当初、喧嘩の場面のひ弱さ(優し過ぎる姿勢)から、少なくとも尊敬の気持ちはありませんでした。しかし、今思えば、立派なマイホーム(父の手で築いた城)を構えた根気と真面目さと、淡々と通い続けたサラリーマンの姿勢に、頭が下がったまま上げることができない想いを抱いています。


遠い昔に母が憧れていた光景。

「お正月に家族が集い、駐車場に困らなくていいように十分なスペースを確保したい。」という言葉を、ふと思い出しました。
(この気持ちを上手く表現することができません。)

「親不孝」という文字以外にあてはまる言葉はないでしょう。


これが私の出発点です。




つづく


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

胸の内を全て書き出し終えるまで、向き合い直す他にありません。

「楽観の部屋」でしか、言葉にできないことに気付かされました。


書き出すことで生じる嬉し悲し複雑な苦悩の時が、暫くは続きそうです。

静かにお見守りを頂ければ幸いです。


_(._.)_

※ペコリ _(._.)_ は、誤字脱字(見直し)の確認の印です。
(発見された方は、是非ご指摘願います。真摯に受け止めます💝)


* * * * *
※この記事の悩みどころ(表現や判断に迷った事などをメモしています。)
・「共感」を求めるための綴りではありません。ただ淡々と「飾らない言葉」で表現するつもりです。思考を曲げないために、妨げないために。ある意味でそう宣言します。自分のために。



※参考・引用など


<イメージ写真・動画など>

幾つもの峠を越えて|K-systemさん制作
https://www.photo-ac.com


以上

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