#創作大賞2022 応募(#4/10)|何故、せっかく馴染んだ社会人3年生を捨てて転職したのか?|廻り巡って結局のところ向き合う他にない。
出遅れた(当時の)若者に温かった。
本来なら20才での入社が歓迎される世界でしたが、少し出遅れた部分を極めて前向きに捉えて頂き、土木コンサルタントの計画部門(柔軟さが求められる)に有難く、目出度く就職することができました。
社会人一年生の印象は、「酒漬け」でした。
同じ専門学校の卒業生(先輩)が多く、何かを理由にして「おい。早く帰っても何んにもないんやろっ?」「ちょっと行こうや。」「付き合えよ。」
とほぼ毎日のようでした。
週末(花金の金曜日)でも、翌日に予定されているお誘い頂いた「草野球」や「サッカーチーム」の練習の有る無しに関わらず、「酒。酒。酒。」の毎日でした。
朝まで呑んで、着替えだけしに家に帰って、トンボ帰りで野球やサッカーに勤しんでいました。
温かい家庭的な雰囲気の中で、あっという間の3年間となりました。
関西新空港建設に向けた関連事業。
携わった業務は堅い府や各市町の土木事務所がお客さんでした。
メインは関西新空港の建設に関わるものでした。私は道路交通計画の課長に付いて鞄持ちです。それが(当然)私の仕事でした。
《引用》
1987年、515 haの人工島を造成して旅客ターミナルビル1棟や滑走路1本などを建設する第一期工事が着工された。
土木エンジニアとして|道路交通計画に携わる。
島内道路の線形計画・誘導案内表示の検討業務。
空港内の誘導道路(出発階や到着階、駐車場、タクシー、バスなど)への線形や、案内表示箇所(表示内容)を検討し、提案書にまとめる仕事でした。
誇らしく感じるのは(私自身ではなく)、所属した課長があの人口島の中の道路の形、流れを具体的に表現して提示したことです。人工島の白紙の地図の上に、幾つものパターンが示されました。災害、事故時の対応なども想定の内として、特殊な曲線定規(雲形定規)を使用しながら、まさしく「筆を舐めなめ」描かれてゆく世界を眺めていました。
カーブ(円弧)に如何に滑らかに直線を結ぶか(擦り付けるか)が腕の見せどころとなります。クロソイド曲線と云います。難しいのは、平面の形だけではなく、立方体方向(縦方向)の上り下りも想定しながらの作業となるのです。
道路設計者が描く道路構造物とは。
・想定される交通量(車種の構成)を幾らとするか。
・将来の発展、拡張、接続などの可能性はあるか。
・安心、安全で供することができる設計速度を幾らとするか。
・車線幅(右左折レーンの有無)と歩道を如何に確保できるか。
・交通利便を供することができるか。
・交通の流れを如何に円滑とできるか。
・地形を如何に活かせるか。
・無理な勾配、傾斜、線形、変則交差点はないか。
・単調(または複雑混乱)と成り得ないか。
・見通しを確保できるか。
・景観を残せるか。
・騒音被害を防止できるか。
・如何に効率よく雨水を排水できるか。
・交通弱者(交通不便の弊害)を生むことはないか。
・付近河川増水や満潮時、冠水等の災害の恐れと対策の考慮。
・如何に必要十分の道路構造上の強度を確保できるか。
・補修、維持のための策を立てれるか。
・如何にコストを下げれるか。
上記は、基本となる思想となります。閉塞された特殊な環境下のため、下記を通常のそれに加味されたことでしょう。
・複雑分岐の回避(シンプルな誘導)。
・車線変更の許容区間。
・万が一見落とし通過した場合の復帰ルート。
・災害、緊急時の通行経路、非難対策。
・地盤沈下を想定した維持管理の利便。
・死角の除去(テロ対策)。
※道路構造令では整然詳細な記述がありますが、敢えて自分自身の理解の「道路とは」を表現しました。
これらの要素が一本の線(ライン)で表現(説明、証明)される様子は神業だと、只ただ感心するばかりでした。
時折、電卓を弾く姿は真摯(紳士)そのものでした。勇者だったのだと感動します。
そこに求められたのは、見た目の美しさではなく、人の命を守るための「機能美」であることを理解できたのは、お恥ずかしながら、つい最近のことです。
道路を科学的に視る機会を得た。
道路交通計画の観点から様々な検討業務に携わりました。普通免許を取得した時から「交通安全」への意識は高かった方だと思っています。常に「同乗者が快適」である空間を演出したいという想いがありました。
いつでも何処へでも好きな格好で荷物を積んで移動できる世界観が大好きでした。これを大切にしたいと願い、運転免許を「宝物」としていたのです。
そこに、道路構造物と交通流(交通量)と云う興味深い要素が加わって、個々の車両として視るのではなく、全体の「流れ|交通流」として扱う楽しみを知り、充実していたと思っています。
《携わった業務の項目》
★工事車両が周辺地域に及ぼす影響調査
★各所主要交差点における渋滞解消のための信号現示の提案
★高速道路料金所の渋滞解消対策の検討
★高速道路上での案内方法の検討
Apple社 Machintoshとの出会い。
新空港の開港に合わせて、高速道路上での情報提供の充実を図ろうとする目的のために、案内場所とその方法についての検討業務が始まりました。
その過程で友人からMachintoshの存在を知ることとなりました。これが第二の人生の始まりとなる大きな転機(きっかけ)となりました。
あの使い勝手(GUI)に惚れてしまったのです。
《例|ファイル削除のコマンドプロンプト》
これまでのパソコン(DOSマシン)では、一つひとつの作業行程をDOSコマンドラインで表現(入力)しなければならなかったのです。
例えば「note」というテキストファイルを削除するためには、とんでもなく面倒な指示をしなくてはなりませんでした。
C:¥test>del ¥p note.txt
C:¥test¥note.txt を削除しますか(Y/N)? y
C:¥test>_
少し複雑な「もしも~なら、~をしなさい。」となると、
if(もしも文)やgo to(どこに行きなさい)、比較する値は何?、それでどうするの?と、もう頭の中には、英語に近いがそのものではない不思議な迷路に陥ってしまうのです。
然るべき方々にとっては、当然で簡単な世界ではありましたが、一太郎(文書作成)に取り掛かる前に四苦八苦する私にとっては、地獄でしかありませんでした。嫌気、嫌悪感、苦痛でしかありあせんでした。
《GUI(Graphical User Interface)》
そんな時に出会ったMac(愛称)は、GUI(Graphical User Interface)という、プログラムに依存することなく直感的、視覚的に操作できる優しい設計で、デスクトップの上のファイルをクリック&ドラッグしてゴミ箱の絵の上に重ねれば、それだけで削除ができるというものでした。
今では、誰もが知る当然の操作であり見慣れたアイコン等と操作ですが、当時は衝撃!としか言いい様のない簡単さと優しさだったのです。
マニアックな友人が身近にいたことも手伝って、一気にMacに惚れ込んで、その世界で仕事(何か)をしたい、何かできるのではないか? と、土木コンサルタント会社を飛び出してしまったのです。
余りにも衝動的(内心は感動的)な転職だったと表現するのが妥当でしょう。
計画部門の室長へ最後のご挨拶にお伺いした際には、ただ「こくりと頷き」を見せて頂くだけでした。その時はその大切さを理解できない「大馬鹿者」だったのでしょう。
お世話になった部署や草野球チーム、サッカーチーム個別のお別れ会が続きました。地元の友人達も泣いて見送ってくれたのを、しっかりと覚えています。
結果的には、私にとって地元を最後にする日となりました。
(その後、2~3度の帰郷がありましたが、それきりです。)
つづく
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
胸の内を全て書き出し終えるまで、向き合い直す他にありません。
「楽観の部屋」でしか、言葉にできないことに気付かされました。
書き出すことで生じる嬉し悲し複雑な苦悩の時が、暫くは続きそうです。
静かにお見守りを頂ければ幸いです。
_(._.)_
※ペコリ _(._.)_ は、誤字脱字(見直し)の確認の印です。
(発見された方は、是非ご指摘願います。真摯に受け止めます💝)
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※この記事の悩みどころ(表現や判断に迷った事などをメモしています。)
・「共感」を求めるための綴りではありません。ただ淡々と「飾らない言葉」で表現するつもりです。思考を曲げないために、妨げないために。ある意味でそう宣言します。自分のために。
※参考・引用など
<イメージ写真・動画など>
幾つもの峠を越えて|K-systemさん制作
https://www.photo-ac.com
以上