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❶主体性(ルール下での自由)を主張するか?❷受動性で監視下に置かれるか? 本気で考えなければならない時が来ている!
朗報2件。悲報4件。
朗報1件目。
「つぶやき」で既に投稿済の1件です。少し笑みが零れました。微笑ましい出来事です。
「想いは届く行動に変化する」
おもいはとどくこうどうにげんげする
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朗報2件目。
助手席の家内から「左から1台!譲ってあげて!」思い遣りのアドバイスが飛びました。私は手前の車両の動きに気を取られて、もう一台先、その先前方の状況を明確に把握できていませんでした(スルーでも非はありませんでしたが、「思い遣りTips」に則って眺めれば、家内のアドバイスは大正解でした)。
その車両は、私の進行方向の左側コンビニ駐車場から、右折にて対向車線に入ろうとウインカーを出していたのです。私は少々意地が悪く(判断基準が厳しく)、ある流れに割り込んで流入しようとする車両(運転席)の窓が開いていれば、「譲る」スイッチが入りますが、窓が閉じたままで相手の顔や視線を確認できない時は、そのスイッチはスタンバイのままです。それでも強引に入ろうとする車両へは間髪入れずに「激しくクラクションを鳴らし」「喧嘩上等の構え」で睨みつけてやっています。
無理して入って来ようとするなら、雨風に関わらずに「安全に対する全ての誠意」を示すべきでしょう。「窓」くらい開けれずに、どうして譲ってあげなければならいですか?理解不能です。断固として却下です。明確な意思疎通ができなければ危険を伴うためです。
ちょうど、対向車線の先頭が大型トラックで、その流入しようとする車両のその存在を知って、譲るべく減速したのを確認できました。私もつかさず、減速しながら「パッシング」で譲る意思を伝えました。
コンビニ駐車場から出て来た車両は(家内曰く)「右手をあげてサンキューパフォーマンス」をしてくれたようですが、私はその先の状況に視線を移していたために見逃してしまいました。窓が開いていなかったため、私一人なら譲ることはなかったでしょう。
「助手席からも死角確認を」
じょしゅせきからもしかくかくにんを
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悲報1件目。
朗報1件目の(恐らく)効果が小学生たち(二人の女の子)に届いたのでしょう。信号のない横断歩道で二人で手をあげて渡ろうとしていました。私の前を走る車両は静かに横断歩道手前で停止しました。(ここまでは良かったのですが)小学生たちが車道を歩き始めたところに、対向車線の向こうから猛スピードで走り寄る車両が目に入りました。思わず「クラクション」を鳴らして小学生に「とまれ」を促しました。小学生たちの足が止まった時に、ちょうどその「大バカの車両」が走り抜けて行きました。スマホで写真を撮ってやろうとしましたが、残念ながら間に合わずでした。
せっかく小学生に届いた「交通安全」の意識を、大人(免許を持つ運転者)が踏みにじるとは全く許せない行為で、身震いがするほど憤りを感じています。
「ほんまに、ええ加減にせな、あかんで!」
通り過ぎる時、反対側に渡った小学生たちはこちらを見て会釈していました。(善意の気持ちが通じる小学生たちなのに、大人が残念過ぎました。)
同じドライバーとして、恥ずかしくて、残念でなりません。言葉がありません。
「何処見て走ってる?シャキとしよう」
どこみてはしってる?しゃきとしよう
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悲報2件目。
コンビニ駐車場にて、脚の自由のきかない家内を助手席側の扉を開けて乗り込みを手伝っている時に、一台の軽車両がバックで突っ込んで入ってきました。「見れば分かるでしょ?」「今、乗り込み中です。」「少し待てませんか?」窓が閉まったままバックして来ました。あと5cm接近すれば「蹴とばして」やりました。そのドライバーと目が合うと怪訝そうな表情です。もしかして、ひょっとして、隣で扉を開けて乗り込む状況も把握してなかったのではないのでしょうか?(喧嘩を売っても買っても、きっと話しが噛み合うことはないのでしょうね。)
「バックは せめて窓を開けて後退ろう」
ばっくはせめてまどをあけてさがろう
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悲報3件目。
これも、信号のない横断歩道での出来事です。目を前を走っていた軽トラが反対車線に大きく車体を振って、横断中の御婆さんをかわして走り抜けて行きました。唖然。開いた口が塞がりませんでした。(こんな時に、パトカーや白バイがいないのですね。残念です。)
「殺人未遂で、即刻、逮捕モノでしょう?!」
ドラレコ映像転送(通報)制度(等々)の成熟が待たれます。もう、そうする他にないでしょう?!
「おいおいおい 歩行者優先だぜ」
おいおいおいほこうしゃゆうせんだぜ
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悲報4件目。
車椅子スペースの憂いは日常茶飯事ですね。特に雨の日は寂しく悲しくなります。空いた「車椅子スペース」に一台の車両が停車しました。出て来たのは60代前後の男性、元気ハツラツで買い物袋を提げて店内に消えて行きました。
私たちは、2台隣の空いたスペースに停めざるを得ませんでした。おまけに輪止めと輪止めの間隔が狭く車椅子を押して通過することができません。雨の中、大回りか、無理くりに歩かざるを得ません。(同情なんて全く不要です。日常茶飯事で覚悟はしていますから。ただ、困る人、救われる人が存在することだけを知ってもらいたい。そう願うだけです。)
「アンタいっぺん車椅子乗ってみる」?
あんたいっぺんくるまいすのってみる?
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どうやら主体性を優先に期待していても「埒が明かなさ」そうですね。
憂慮すべき事態です。自発的な「思い遣り」が育つのを期待して待っていても、失われる「命」の数が減ることはなさそうです。
頼れる手段は、残念ながら規制強化と監視の世界(社会)だけとなりそうですね。憂慮すべき事態です。
運転支援(救済)システムの可能性(裏側は監視社会)
視線計測技術が進んでいます。この先期待したいのは、運転者の視線をトラッキングして、「見落とし」や「死角の目視確認の有無」を「警告音」や「音声メッセージ」で伝えることです。
運転者の技量や経験が乏しくても、優良ドライバー目線での確認ポイントで運転操作を正される仕組みです。ガイドライン、運転支援とも表現できますが、管制センターとの連携次第では監視システムとも呼ぶことができるものです。
主体性に任せることができなければ、受動性として監視下に置かれる他に「命」を守る術はないでしょう。
できる人ができない人のカバーをする範囲にも限度(限界)があります。
未だ諦めはしませんが、一つの流れとして容認せざるを得ないかも知れません。とても残念ですが・・・。
「視線計測で正される日 マジか(真面か|間近)」
しせんけいそくでただされるひまじか
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本気で考えなければならない時が来ています。
他人事ですか?
ご家族に、ご友人に、お隣さんに、一言を始めてください。
儚く尊い命を守りたい。
誰かの命を救いたい。
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