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ズボンプレッサーから愛を叫ぶ

ズボンプレッサーにある心。
その心の持ち主は私。

家庭でいい子を演じてきた子供時代、
学校での日々戦況が変わる女子の輪、
職場で起こる理不尽な人間問題、
やっと抜け出せた集団世界だったのに、
親世代になっても集団というものは内容もレベルも変わっていなかった。
せっかく大人になったのに…

でも一番ガッカリなのは、
相変わらずまわりに振り回されていた自分。

Why japanese people〜!?


意味がわからない。
その意味がわからない世界で
必死に生きるため、
所属欲求を満たすため、
居場所をどうにかこうにか確保し、
レジャーシートを敷くために…

笑いたくないのに笑い、
行きたくないのに行き、
本当は照り焼きマックががっつり食べたいのに断念したり、
休み時間のたびに群れから離れないために
大人数でトイレに行って、
クシで髪をとかして、
まるで顔はオイルショック状態なのに休み時間ごとにあぶらとり紙で油をとる。

私の心は「本当はね…」と本音を言ってくれていたのに、
私は耳を貸さず聞こえないフリをし続けた。

小さな声で「本当はね…」と言ってくれていた本音ちゃんからの声は次第に全く聞こえなくなっていた。

私は幼少期から自分の気持ちを抑圧し続けた結果、
何が好きで
何に興味があるのか、
反対に何が嫌いで不得意なのかわからなくなった。

好きなことややりたいとを伝えると、
母は自分と意見が違うと全力で否定し修正した。
これが好き、やりたいと思う自分がおかしいんだと思うようになったのだと思う。
数少ない挑戦したことも、
やはり挑戦する限りつまずきスランプが起こる。
その時
「だからあんたはだめなのよ」
と言われると、挑戦したことやりたいと思った気持ちに☓がつく。
結果もっと保守的な人間になった。

自分のことなのに自分のことがわからない。

私はとことん自分に自信がない。
全人的に自分がダメ人間と初期設定しているようで、
だから苦手や不得意分野であろうことも努力不足であると捉え、
とにかくやれるだけのことは努力でカバーしようとする傾向がある。
でもやっぱり苦手なものは習得するのに時間がかかり、得られることも少ない。
それでさらに自己評価が下がる。
心は毎日ズボンプレッサーの中でペシャンコ。

「もう無理だ。もう嫌だ」
私の心から小さな声でSOSを出してくれました。


もうそろそろ、
自分の声を聞こう。
いや、聞きたいと思うようになった。
声が聞こえなかったら近寄ればいい。
待てばいい。
鳴くまで待とうホトトギスの家康になるんだ!!

でも信長でも秀吉でもいい。
信長と秀吉がいてくれたから家康の考え方や時代がある。
信長秀吉ありがとう。
どんな自分にもマルをつけよう。
ちっちゃなマルでも楕円でもいい三角でもいい。

帽子をかぶって頭が痛ければ、
頭を削るのではなく大きい帽子を買って被ろう。
その帽子も自分が被りたいデザインを被ろう。
被りたいデザインがわからなかったら、
「わからないんだね」と
寄り添って一緒にたくさんの帽子屋さんを回るよ。
今まで私は無条件の愛がわからなかったけれど、
子育てを通して、
無我夢中でトライ&エラーを繰り返し
共感ってこういうこと、
承認ってこういうこと、
ママそうそう
承認共感そういうやり方それで合ってるよ。
私の気持ち、それで合ってるよ。
いや、その方法と気持ち違うってばーー!
と、
子どもたちが忖度皆無の率直な意見をくれ、
寄り添い方法と無条件の愛を教えてくれました。

ズボンプレッサーから魂の必死の叫びのおかげで、
私も子供も救われそう。
ずいぶん時間はかかったけれど、
幸せな生き方ができ始めたような気がします。
もう迷うことなく照り焼きバーガーを食べよう。

私のペースで
私に合った歩幅で
地に足つけて、
優しく足を包んでくれる歩きやすい靴で
自分基準で感じる幸せな人生を少しずつ選択して歩きたい。



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