私を生かす生き方にシフトする
4月から母親業と時々パートをしながら大学生活をスタートした。やれるのだろうか‥と不安を抱えながらのスタート。昔習ったもののとても苦手な統計学、古の記憶となり風化寸前の英語。それらに取り組むことにただでさえ焦る中、私のやらなければ、ちゃんとやらなければ、いい点を取らなければ‥という気負う癖が融合し、地に足が全く着いていない半期を過ごした。学期が終わる時に怒涛のレポート提出が待ち構えており、鬼のラストスパートであった。今は無事夏休みを迎えたが、しばらく家のことは最低限のことしかできず、元々睡眠をたっぷり取らないと生きていけない私は3日間眠り続けた。夏休みを迎えて一息ついた今だから思うと、自己を追い込み、深く考える傾向のある私は、辛いながらめちゃくちゃ充実した日々であったと感じている。
しかし、己を磨くため入学したものの、問題点も感じている。それは、周囲との考え方の差である。私は元々内向的で、深く考える傾向のある性質であり、外交的な人が占める割合が多いこの世の中で私はとても生きづらさを感じ、周囲との考え方の差を感じていた。だから、コロナによる活動制限は私にとってとても暮らしやすく、無駄な繋がりを避けられる最高な環境であった。
その中入学し、根拠に基づいたアカデミックな考え方を半期徹底的に教え込まれ、ロジカルシンキングを身につけられた。そのことにより、より深海レベルの思考をするようになり、そんな自分の成長をとても嬉しく感じていた。しかしながら、子供繋がりの保護者の方達と久しぶりに関わる機会があって話すと、元々話が合わなかったがさらに話が合わなくなっていることに気づいた。決め事をするため、根拠を示し自分の中で三方良しのご提案をしたつもりが、全く理解されない。むしろ、根拠など全くない、気分に流される理由の分からない筋の通らないことが多数によしとされる‥。イミガワカラナイ。己を磨くため学んでいることで逆に生きづらさを助長する気がし、そして社会の現状を知り、絶望感を感じた。
しかし、これは私を試すための神様からのテストであるような気がしている。絶望して辞めるのか、それとも、自分を磨き、レベルアップし続けて自分にしかできないことをするのか。選べられる。私は内向性を生かし、私にしかできない研究者になりたいと思うようになった。自分に合う環境を、自分で選べるように、レベルアップしたい。今までは田舎が住みやすい、と考えていたが卒業後は環境を求め、大学院進学や都会で挑戦してみたいと思うようになった。母だけど、母だから、妥協せず限界を設けず、子供のせいにせず、高いところ目指して生きていきたい。