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アウトプットできるヨロコビ
noteに登録してみました。
自分の中に表現したい気持ちはたくさんあるけれど、自分の口から表現することは不得意。
あれこれ考えてしまって、
めっきり表現することが苦手になってしまいました。
幼稚園時代から母には表彰されるような絵、
小学校からは作文や習字を求められました。
でも…
表彰されるような絵や文の書き方がわからない。
でも…
怖くてそしてなんで書けないのか自分にも現状がわからないそして言葉にできないから何も言えない。
ずっと白紙を見つめ続ける私に母は苛立ったのでしょう。
鬼の形相で睨まれ、怒られ、ため息をつかれながら、母がゴーストライターとして代筆し提出していた幼稚園小学校時代。
結果たくさんの表彰状をもらったけれどこれに何の意味があったのだろう。
お前はダメ人間とそこを堂々と表彰されているようで、虚しさと自己嫌悪感を感じるばかりでした。
常に生活や勉強で完璧を求められ、
でもできなくて
後ろめたさと自己否定感、
私はできない子という、
母からそして自分自身から
たくさんのマイナスのメッセージを受けとっていました。
当時はわからなかったけど、
でも今ならわかる。
「正しい書き方」がわからず困惑していたんだと。
そしてアートで表現することに正しさなんてなかったんだということもわかり、
当時のワタシのことを自分が子育てすることで、大きくなったワタシが寄り添い迎えに行くことができました。
小さな頃の私は自分をダメだと責めることで自分を必死に守って、私なりに頑張っていたことにも気づけました。
そして母になった今、
当時の母の気持ちにも気づけました。
ちゃんと育てなければという不安と焦り、
適切な介入方法もわからなくて、
子供がどういうふうに絵や文章で表現するのがその年齢で安心できる状態なのかわからなかったのでしょう。
いわゆる普通からはみ出す、うちの子だけできない、それは初めて子育てする親にとっては恐怖。
人生というオリンピックで競技するのは選手である子供であり、親はコーチや応援団の役割。
フィギュアスケートでもカーリングでもどんな競技でも、選手を引っ込めて親が代わりに競技してはいけない。
冷静に考えるとわかるけれど、
当事者は狭い家庭の中で必死で考え自分の行為のおかしさに気づけない。
そんなこんなで長年「私は文章を書けない人」と認識していたのに、
ある日ある人から文章を褒めていただけた経験があり、その上ブログで紹介していただけました。
ただ素直に嬉しかった。
今度は自分の手で自分の声をアウトプットしたいと思いnoteに挑戦。
長年私に貼られたたくさんのマイナスレッテルラベルはたくさんしかも強固にくっついていて、
無理矢理剥がそうとしたり、
マイナスラベルの上から無理矢理ポジティブラベルを貼ろうとしたり、
でもすぐポロリとラベルがはげる…。
なんで私はこんな商品なんだろうと中身を恨み、周りに並ぶ商品をいつも羨み、
中身はワインなのに日本酒やビール、
お酒をやめてトマト缶になろうとしてみたり。
ラベルを
貼ってもいいし、
キレイにはげてないボロボロな瓶でもいい。
酷評の商品でもいい。
堂々とお店の商品として並ぶ。
自分の子供と出会えて育ててみて、
こういうことが自己受容という行為であり、
子育てする上で一番大切なことなのではないかと思えてきた。
気持ちを表現できることは喜びであり、
素直に嬉しい。
育児は育自。
どんな感情や考えにも良い悪いはないんだよ、
と子どもたちが教えてくれました。
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