持ち込み企画で出版し翻訳本まで出版した話

持ち込み企画の採用率は1%以下とも言われているなかで、
3社にわたって記事の執筆や出版をしている私の体験談をお話しします。
本の分野としてはHow to本になります。
最近友人に出版のことを相談され、いろいろな思い出が沸き上がってきたためまとめてみました。


本を出そうとしたきっかけ

そもそも本を出したいからスタートしたものではありませんでした。
ただ、手芸を始めていくうちに自分自身のハマっている分野には日本語の本がなく、今までまとめた手書きのノートを誰かに製本してもらってついでに売れたらいいな、製本もプロにやってもらえたらいいな…というのがきっかけです。

手芸を始めてすぐ参考にと手に取った日本語の手芸本がちんぷんかんぷんで少しショックを受けました。
これでも3浪とはいえ医学部合格を勝ち取った身なのに、、、
様々な分野の参考書はもちろん、英語の論文もたくさん読まされました。
なのになぜ、お手本が書いてあるはずの教本が理解できない、、、
母に相談すると、こんな返答が。
「手芸本はお教室が前提になっているから、詳しく書かないことが多いのよ。
もしくは、それなりの知識持った人のために簡単な説明は省かれてるわね。」
つまり新規参入がとても難しい分野だったわけです。
そして、ちょうどそのころ、メルカリを筆頭に一般人が手軽に利用できる通販サイトが流行しハンドメイド品の出品が相次ぐなど、空前絶後のハンドメイドブームが来ていました。
ハンドメイドの教本が飛ぶように売れる中、ハンドメイドで稼げる!と銘打ったTV番組を見て、参入しようとした知識ゼロの人たちがぞくぞくと挫折していったのです。
私も知識ゼロのなか手芸を始めましたが、根気強く続けていく中で我流ではありますがある程度上達もしていました。
そのため「これから始めてみようと考えている初心者でもわかりやすい本を作れるのではないか。」と考えるようになりました。
また、受験時代に大量の参考書を読んだ経験から、どのような話の流れで説明を組み立てれば理解しやすいかを具体的にイメージすることができました。
手芸本の制作はとても私に合っていると確信をしました。

売れると確信して持ち込み

いくつか出版社に自身の作品の画像や自己PRをつけたスライドを送りつけるスタイルで売り込みを行いました。3社ほど興味を持ってくださったのを覚えています。
2社は見開き含め、数ページにわたり企画を組んでくださいました。
雑誌の企画執筆はあまり乗り気ではありませんでしたが、出版への第一歩として受け入れ、デザイン性が良く制作難易度は低めな作品を紹介しました。
そこから、さらに興味を持ってくださった編集者から、
「スライドを参考に作品を作ってみると躓くことなく完成しました。これはいけると思います。」
と連絡がきました。
そこからとんとん拍子で出版が決まり、半年ほどで自分の本を出版することができました。
運もよかったのだと思いますが、紹介した作品のデザイン性と制作難易度のバランスの良さも評価され、出版に繋がったのだと思うととても嬉しく思いました。

企画通した先に待っていたもの

人生初の出版がいきなり半年先と決まり、20種類程度の作品提案を指示されました。
そこからはデザイン地獄でした。自分は無から有を作ることは苦手で、既にあるデザインに手を加え発展させることが好きだったのでとても苦しみました。
大学の実習中も上の空でデザインを考え続け、締め切り前は空が白んでくるまで眠れないこともありました。漫画家さんや作家さんがいつも締め切りギリギリまで働いていることに対し「わたしはそうはならないぞ」と謎の自信を持っていたのですが、そんなことはなかったと思い知らされました。
色々な作品を提出しましたが担当さんがギリギリまでOKを出してくれないのです。俗にいうボツです、、、
しかし不思議なもので、追い詰められるといいデザインが出来上がってしまうのです。
担当さんはこれを期待していたのかなと思いました。
結局20種類の作品を完成させるのに2か月かかり、大学の休みに合わせ、撮影と会議、校正となりました。
撮影日は前もって時間、予定、順序まで決めていましたが、予備日までかかってしまうことばかりでした。
新しい技術を紹介したいがために、撮影日が翌日に迫っているにも関わらず徹夜して作ったりもしました。
身体的にはとてもハードでしたが、こんな締め切りに追われたりすることは人生で二度とないだろうなと思うとすごく楽しくやれました。今、振り返っても非常に貴重な経験をしたと心から思います。

Amazonで☆4以上獲得

日本語の本がなく、海外のわかりにくい本ばかりだった分野にわたしの本が出版されることとなり、amazonでは出版前に売り切れとなりました。
前評判は上々であり、本は売れ、説明にこだわったわたしの本は、amazon☆4以上を獲得し現在も売れ続けております。
売るだけが目標ではなく、売った後も満足していただける一冊ができたこと一生忘れない思い出となりました。

翻訳本の出版依頼がきた!!!

そしてまさかまさか、日本にとどまることなく、海外の方からの輸入も多く、出版社から翻訳本の出版の話をいただきました。
えーさすがに英語以外はそこまでわからないよ、どうしようとか思っていたのですが、そんなことは杞憂に終わりました。
すごいですね、企業出版だと翻訳本の出版は契約書のサイン一つで出来上がり、読めないけど、外国語にきれいに翻訳された本が刷り上がるのです。
まさか自身の本が外国語に翻訳され、海外に置かれるなんてそんなこと夢にも思ってもいませんでした。
一時は自費出版でもいいかなと考えていましたが、やるからには最高のものをと思い持ち込んだ自分は間違っていなかった。そして、自分の技術を余すことなく記載し、お教室に行けない人でもこの本1冊だけで誰もが簡単に作れるようにと説明に力を入れたのは正解でした。

続く仕事の依頼

出版させていただいた会社では、海外の手芸に興味を持っている私を重宝してくださり、次の企画の提案などもお願いされ、さらに2冊ほど出版されました。こちらに関して私は企画のみで丸投げしてしまった形ですが、そういった話をいただけてとてもうれしかったです。
また、数ページの記事を出させていただいた出版社に雇われていたライターさんより、5年後に再度声をかけていただき今度はさらなる有名誌で記事を書かせていただきました。
その後には本業が忙しくなってしまい、もう本も記事も書けなくなってしまいましたが、また時間ができたらやらせていただきたいなと思っています。

チャンスをきちんとものにする

自分は、本を出版しようと持ち込みしたのに、最初に提案されたのは雑誌での数ページの記事でした。自分の意図(作品の紹介というよりは、すべてにつながる基礎を伝えたかった)とは異なり、不安と不満が入り乱れてはいましたが、せっかくいただけたチャンスとしてしっかりお仕事ができたことで出版にこぎつけましたし、そこで妥協せずにギリギリまでいいものをの精神で修正をかけたからこそ、複数の本の出版につながったのだと思います。
お声がけいただいた4冊目の出版の件は本業により辞退させていただきましたが、自分の中で本を出版できた経験はとても光栄で誇らしいことだと胸を張って言えます。

この記事を書くまでは正直いろいろ忘れてました。まさかの海外出版は読み直して思い出し加筆したほどです。
思い出して記事に書くと多忙な日々で忘れていたいろいろな不安と期待でずっとどきどきわくわく、とっても楽しい時期があったそのころが鮮明に思い出されました。
また、思い出せるように今まで経験してきたいろんな思い出を追加していきたいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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