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要らない

幼い頃、母に可愛がられる妹をいつも見るうちに、私は要らない人間なんだと思うようになった。

2人の中に入り込むのは無理だし、かと言って同じようにされない自分は、やっぱり母には要らないのだと悲しくて、拗ねてしまった。

人との関りでも、自分を見せず相手に合わせて、求められる人になるようにするけれど、根底に、要らない人間はきっと爪はじきにされるという恐れがあって、入り込まないようにしてきた。

ずっと、母に愛されないと思ってきたことも、愛されない自分でいないように、初めから愛を受け取らないようにした節も私にはある。


人とは仲良くするものだ、友達と上手く付き合わねばならない、友人が多い方が良い、という常識は正しく、そうできない自分はダメだと思ってきたけれど、そんな考えでは、劣等感を大きくするだけだったと思う。

人付き合いが下手な人も上手い人もいて、どちらも良いこと。まちがいはないこと。

その性質が嫌でも、自身を否定するのは間違っていること

そうやって見ていけば、劣等感は見当違いと気づくのに、よく考えず、安易に劣等感や罪悪感に逃げ込んできたと思う。

だからいまだに、実家に住む娘が私の妹と仲良く父の面倒を見てくれている様子に、感謝の気持ちとともに、時々手伝いに行く私の居場所がないと感じてしまうのだろう。

私は要らない人間という思いはもう要らないのに。





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