快楽と依存症の真実
快楽と依存症 ずっと解決されない問題なんだっけ?w
今日はこれについて書くかな。
結論からいうと、快楽自体はまったく悪くない!!w
まともな常識人(強欲を隠した偽りの禁欲主義者ども)は、「強い快楽があるから依存症になるのだ!!快楽なぞに溺れる情けない奴だ」というw
いやいや、快楽があってもなる人とならん人がいるよな?今からそれを説明してこう。
依存症になりやすいのは抑圧がデカい奴だ。いわゆるいい子ちゃんがギャンブルにはまりやすいってな。その説は完全に合っている。
依存になる快楽にも大雑把に2つあって、脳が焼けるタイプとじっくりはまるタイプな。真の依存症といえるのは焼けるほうなのでそっちのほうを解説しよう。
良い子ちゃんは脳は焼けるやつになりやすい。皆さんは脳が焼けたことはあるかい?カイジとか嘘喰いとか賭ケグルイとかみたいな?あるいは芸能人の薬物s●xとか?
なったことない人は想像もつかんと思うけど、アレほんとにあるからね。
アタマの色んな部分が首に近いとこがズゴゴゴゴってなるからねw
俺もなったことがある。薬物じゃないよwwこれを最後まで読めばわかるけどそんなものは低レベルで他力本願なものは必要ない。
そのときの迫りくる感覚は「ああこれだ!」っていう誰に説明されなくてもわかる快感、そうだな、男子諸君は初めての射精を思い出すといい。正確には快感というよりも「これはカラだにいいやつだな、この世界から、君は真の快楽にたどり着いたようだね、おめでとう!といわれるような?【祝福】って言葉がぴったりな感じ」
それが引いたあとはすっきり「爽快」そのもの。溜まってたしつこい神経系の配管汚れが取れる感じ。ズゴゴゴwは脳に来ることもあれば身体のやつこともある。特に背中から腰回りな。
これだけでもすごくいいものだということが分かるよね。
では、どこで道を踏み外してしまうのか?
実は俺も一度依存症になりかけたw俺はこの世で最も理性的である自信がある。俺は絶対にならないと思ってたのにだ。俺の場合それに3日目に気づいた。
「あれ?俺無意識にまたしようとしてね?ああ?もしかしてこれか?依存症っていわれるのって。。フフ、、フハハ。確かに気持ちよかったもんなあ。身体が何度も経験したがってるのかい? しかし、一方で理性は同じ刺激ではもう同じ体験は無理なことも気づきかけている。 気づいてしまえば大したことのない仕組みだな。 偉そうに言っていたが愚かにもこんなものに3日も気づかないとは俺もまだまだだな。。しかしなんだこんなものか??残念だったな。 やはり俺を依存症にはできなかったようだ。」 という感じで事なきを得たw
つまりだ、脳が焼ける経験をした者は何が起こったのかわからないまま、強烈な快感を再び求めて同じことを繰り返してしまうのだ。
重要なのは、快感とは単なる「配管掃除」であって配管がきれいになってしまえば、同じ掃除ではすっきりできないということだwwwwだってもう詰まってないんだもんwww
それに気づかず、「行為⇒何割かと確率で快楽」だと思い込み、同じことをすればいつかまた同じ快感を・・と打算のアタマが働き、それしか可能性を知らないからサルのように繰り返す。これが依存症の正体だw
実に簡単で単純な仕組みである。
つまり、配管がきれいになったら同じ方法ではズゴゴゴ!はもう起きないということを説得力のある経験者とか医者とか信用できる人から聞いて知っておけば、ちゃんとあきらめがついてサルにはならないですむw
配管のつまりというのは、ようは社会と他人から喰らった汚れで消化できないやつのことな。 神経系は100%そうだけど、たぶんスピリチュアル的な〇〇体みたいなところにも詰まっている気がする。
だから快楽を制御しようとするのは悪であるし、不可能であるし、する必要がない。 依存症をなんとかしたいと心底望むなら社会とか親の側が自分らにも責任があると自覚するところからだ。ゴミを溜めたのは自分らだと。お前らの嘘をこの世の深淵な仕組みがほどいたんだと。
その上で、それはもう同じ方法で起こせないのだと教えること。もっと強いものをちゃんと起こす方法は最後に書こう。
ま、心配するふりして実は 快楽への願望と抑圧で動いている、叩きやすい者を叩きたいだけのクソ連中にはまともな議論などできるはずがねーがな。
ズゴゴゴが起こると、起こった場所にもよるけど、身体が軽くなり、嘘みたいに柔らかくなったり、今まで入らなかった部分に力が入り、感覚が細かくいきわたり、握力も10くらい上がったり、視力が上がったり、歌がうまくなったり、肌がきれいになったり、表情が美しくなったりと、まさに神の「祝福」のような嬉しいことが起こる。
これを読んでいる人も経験してみたいでしょ?ww
俺が中高生とかオリンピアの指導者なら細かいことよりまず全員これになってもらいたいと思うくらいだ。下手したら10年分の練習とかそれくらいのすごさがある。
だからこそ、また求めてしまうのだが、その体験はある意味一時的な「救済」として与えられたもので、進むべき道を指示してくれたものと捉えるのが道を踏み外さないために必要なことだ。
力が与えられたのではなく、抑圧に穢されていたいた身体が、本来の自然体に近づいたのだ。快楽はそこまで正当に耐えたご褒美のようなものであって、その感覚を忘れないように、日常生活のクオリティを高めて、本来の自分でい続けること、その重要さ、また配管が詰まることのないように、色々なことを教えてくれているのである。
さて、ここまで「良さ」を教えてしまうとクスリに興味を持つ愚か者が続出しそうだな。安易に快楽だけを得ようとするどうしようもない連中には忠告しておこう。
快楽とは真実(自然体)と仕方のなかった抑圧の落差によって救済的に発生するものであって、普段から正当な形で抑圧されていない者は快楽も経験することはできない。クスリを使おうがギャンブルをしようがs〇xをしようが。愚かな連中が打算的に快楽を求めて繰り返す行為は、快楽もどきの暇つぶしにしかならず、なんであれグロテスクな結末に至る。それを退廃という。
さらに、その抑圧には正当性が必要である。例えば、貧乏な家庭で金銭的抑圧の元で育った青年が努力で事業で大金を得れば絶大な快楽を味わえるが、40歳にもなったロクに努力をしてこない大人が遺産で得た大金はそこまでの快楽をもたらさない。
あ、「それならギャンブルはどうなんだ?ギャンブルは悪いじゃないか!!ギャンブル依存症が自然体なのか!!」という極限にアタマの悪い人たちのために注釈が必要か・・
あのね。この世界の基本構造自体がほぼギャンブルなの。ギャンブルじゃないもののほうが少なくて、人はギャンブルが怖いから人工的にギャンブルしなくていいものをたくさん作り上げたの。なので人の本質からみると、社会的に「ちゃんと」しているものほど不自然なの。
そして、お前らが「ちゃんと」生活できてんのは、誰かがギャンブルを引き受けて安定させてるからなの。中小企業の社長とか農家とか漁師とか。銀行とか保険も。金の亡者と揶揄される欲望のみで行動するデイトレーダーとか転売屋でさえ、相場の安定というか滑らかさに寄与してんだよ。
だから、「ちゃんと」基準だけでお金を教えると世の中にあふれるギャンブル的な本質とかけ離れるのよ。事業で当てたら何億とか、そういうのが説明できないでしょ?子供でもなんかしっくりこないのは分かるの。それもきちんと説明した上で「ちゃんと」のほうも説明すればいいんだけど、「ちゃんと」側に説得力がないから、ごまかす。というか教える側も誤魔化して生きている。それがまさに嘘というもの。 その嘘がギャンブルで焼かれるってだけw「おいおい!勝てば、、こんなに、、、!金、、手にはいるじゃねえかあ!!!!」ってこと。 はあくだらね。
愚かで愚鈍な者は快楽の純度を薄め、退廃に変え、社会を堕落させる。自分らのせいなのに快楽自体のせいにする。こうしてまともな人間がたまに経験する「祝福」の意味と価値が曲解され、訳が分からないまま依存症になったりする。
これが、快楽と依存症と退廃の真の構造だ。
性であれ、金であれ、悟りであれ、何であれ、真の快楽はまっすぐな生き方からしか得られないということを知っておくがいい。
そして一度得たとしても同じ方法ではたどり着けない。自分の純度をあげ次元を上げることで新しい次元で深淵な課題に気づき、それを実現する中で、劣悪な社会とのギャップが生まれ、そこに抑圧が生まれる。自分の中にある次元の低い荒い要素がほどかれ、ズゴゴゴが起きて、いつか快楽として救済される。そういうまともな生き方でしか快楽さえ味わえないということを。