マイクタイソン 10年ぶりにパンチのイデアが魅せた伝説の復帰試合

10年ぶりに タイソンが試合をした。

タイソンの凄さは皆が知るところだ。

だが、何がすごいのか?を十分に説明した人を見たことが無い。

フィジカル?パワー?筋肉?センス?瞬発力?生い立ち?黒人だから?

それさ、全部、もっとある人いるじゃんww

つまりそれだけじゃタイソンの凄さを全然説明できてないね。


俺がここで説明しようか。

まず、パンチが強いとはどういうことか?ということから説明する必要があるね。

まずね、パンチって「拳」でするでしょ?

一般に拳って怖いものってイメージがあるよね?

ところがね。解剖学的にみると、拳ってめっちゃ脆弱な構造をしとるんよ。

下手したら 当たり所が悪いと、鎖骨よりも弱いかもしれない。

もし人体と同じ行動のロボットやクローンができて、同じようにパンチを打たせたら、おそらく秒で骨折する。

不思議でしょ? なぜ人体の弱い部分を使うのか?

だから格闘家はいっつも拳を骨折してる。 あの朝倉未来くんとかもね。


次に、野生の動物で拳を武器に使う動物はいない。それはやはり拳が弱いからだ。

また、女性もグーを使わない。 女性のパンチは弱いからだ。

女性格闘家のパンチも同体重の男子よりも有意に弱い。


拳の強さとは?パンチの強さとは?


さて、このあたりで結論を言うと、それらの強さは、「内に秘めたパンチと拳の必然性」の強さと比例する

それらが、拳の当たる瞬間の力の質や大きさを決める。


そんな精神論が? と思う奴も多いだろう。

北斗の拳が何で人気になったと思う?

その拳と強さの必然性に、皆がどこかしっくり来てたからじゃないかい?


つまり、タイソンがあれほど強く、あれほどに人気があったのは、タイソンの拳に必然性があったから、なのである。

一般にタイソンは、30歳頃の社会的イメージのせいで、わがままだとか、狂暴だとか、無法者だとか、トラブルメーカーだと 思われている。

だが、自伝などをみればわかるように、核のタイソンは心の優しい純情な少年である。

そして彼が暴力や強さに目覚めたきっかけも、優しさからであり、その後にボクシングにのめりこんだのも、彼の生まれや生活環境によるものが強かった。

彼のボクシング人生にはすべて、必然性があったのだ。

言い替えれば、彼は、「ボクシングとは何か?」を人々に見せるために送り出された使者ともいえる。

そして、その必然性が失われたとたん、神掛かり的な強さもまた失われ、タイソンは凋落したのだ。


そこから数十年がたち、タイソンが久しぶりにリングに立った。

そこにいたのは、50半ばの年老いたタイソンだ。

タイソンの顔や表情にはしわが寄り、年月の経過を感じさせた。

だが、リングに上がって引いたカメラに映る試合で動く姿には、あの頃の「タイソン」がいた。

遅くなったとはいえ、あの頃の動き、あの頃のダッキング、あの頃のステップで。

そこで際立っていたのは、彼の「才能」ではなかった。

世間が一般的にいう「才能」

フィジカル パワー 筋肉 センス 瞬発力 生い立ち 黒人だから

などとは違う 変わらない何かがあった。

彼が年老いて50半ばになったからこそ、そして同年代のレジェンドが相手だったからこそ、余計にそれが際立ってみえた。


際立っていたもの、変わらないもの、タイソンらしいもの、美しいなにか

それは、一言で表す用語のない、動きの全体性ともいえるものだった。

師のカスダマトと共に、タイソンの核を育て完成させた、美しきパンチのスタイル Theボクシングが、変わらずにそこにあった。

年月がタイソンを大人しくしても、あの頃のぎらつきや攻撃性がなくなっても、それは何も変わらなかった。

それどころか、逆にそういった「若くて激しいもの」がなくなったからこそ、余計に素晴らしさ・純粋さが際立っていた。


あの試合で多くの人が気付いただろう。

タイソンは暴力の象徴などではなかった。私たちはタイソンを見誤っていた。やはり彼こそがボクシングである。と。

彼の姿は、以前、いやそれ以上に英雄であった。



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