神示っぽいな
神っぽいな~
ってことで
霊は物質を求める
物質は霊を求める
霊とは宗教や信仰や
一切の概念でなく
空間そのものであり
空間は物質を
物質は空間を
互いに求めるのである
それは真空や
様々な自然の様態からも明らかであり
空間と物質
一体である両者をつなぐものが
エネルギーと呼ばれるものだ
空間が物質で己を埋めようとするとき
物質が空間に満ちようとするとき
その動きがエネルギーに他ならない
それらは完全に分けることはできない
なぜ分けて捉えるのか?
私たちは物質の変化を通じて
空間・エネルギー・物質
の関係性を学んでいる
それらを分けることは
単に関係性を腑に落とす訓練
それらをより深く知るための
頭と心の体操にすぎない
理解のための訓練がいつしか
訓練のための理解となり
三次元への固執
三次元的理解の強制となり
それらを拠とする
見えない者
心の貧しい者
狂気の者たちの凶器となる
彼らは、訓練の枠組みを操作し矮小化する
彼らによると
「距離・速度・時間」という
小学理科の範囲は正当であるが、
その大元となる
空間・エネルギー・物質の原理
これらの言説は正当ではないとする
わからないフリ
解明されていないフリ
証明されていないフリ
都合の良い範囲で
「発見」したフリ
「証明」されたフリ
これらによって科学の名を借りた権力
そして民と財を動かすのである
狂気のエネルギーがもたらす
不自然で強引な
三次元的見方の強制は
悲劇もたらす
暴走した狂気の正体は
空間性をあえて無視する物質認識と
物質性をあえて無視する空間認識に他ならず
その根本的な欺瞞を
正当な科学的アプローチであるかのように偽装する
創造物
動植物
人の肉体
暴走した三次元化は
さらなる枝葉を作りだす
終いには
固定した棒と同じように
人体を理解しようとしたり
試験管に分離した物質と人体が
同じ反応をすると考えたり
コオロギと牛乳と大豆を
「タンパク質」という言葉でまとめようとしたり
それらに気づけないほどに堕する
支点・力点・作用点
足が地面反力を得て
背骨が支えになって
手が動かせるのです
???
これらのあの手この手でなされる冒涜は
まもなく終焉を迎えるが
その終焉に起こるのは必然
三次元化の狂気を持つ者
言い換えれば
それらに憑りつかれる理由がある者
さらに言い換えれば
原理・エネルギー・仕組み・真実
これらに背を向けないと成立しない
何かしらの不自然な分離、カウンターエネルギー
つまるところ
執念・怨念・正当化
を隠し持つものが
決して超えることのできない
試練として顕れる
老い、病、災害
各種の飢餓
人類の相互選別
ありとあらゆる形で
起こりうるのは必然であろう