内心は自由だが、表明された言葉はもう自由ではない
当たり前のこと。
いまだに口喧嘩でさ、言った後に反撃などされて「どう思うかは自由」が伝家の宝刀みたいになってて、
言われたほうも「うっ!」 みたいなの滑稽でしかないからw
もうそろそろまともな人間の間だけでいいからはっきりさせよう。
「内心の自由」の基本原則
内心は内心である間は自由。どんな支離滅裂なものでも、いい加減なものでも、卑怯なものであっても、だ。
ただし、表明したら自由ではない。そもそも言葉として変換されたその時点から「内心」ではない。
表明された時点で、「内心」そのものから表明するための「言葉」に変化している。
それにより、表明された相手ないし不特定多数は、それに対して同じように自由に「内心」を抱き、またそれに対して言葉で反応する場合には『「内心」そのものから表明するための「言葉」』として表明する。
まとめると、「内心」そのものから表明するための「言葉」には「内心」そのものから表明するための「言葉」を返したり返ってくるとするのが自然である。
言葉に変化させて表明するのならば必ずそれに対する反応が発生する。物理的な作用反作用の法則と同じ。
まあ、だからこそ、内心をどれだけまっすぐ表明できるか、や逆算しないまっすぐな内心を保つことがこれだけ難しいともいえる。
何でこんな当たり前ことが、この世界はずっとこんがらかってんの?
まじでわけわかめ