私は「専門家」「〇〇専門」と名乗る人間を信用しない。/縄張り意識に汚染され、狭い知見や生き方を変えず最後まで生き延びようとする者たち

タイトルのとおりだ。

ー〇〇の専門家 ー〇〇を専門にしている

私は、自ら専門という言葉を使って名乗るか、自分たちの仲間内、または業界とかで、専門という言葉を使う人間の能力を基本的に信用しない。

その言葉を見た瞬間、その技能は、業界で70~80点くらいなんだろうな、という推測をする。 以上。

が、とびぬけて良いとか、何かを知っているとか、すごい人だとか、向上心がありそうだとか、融通が利く、 という可能性は逆に減ると考える。

そこそこの品質でそこそこ済ませればいい、という時は使うこともあるが。


これまでの社会では、専門=信頼 という認識だった。

そればっかりを何十年もやっているから詳しいはずだとかいう、理由として実に乏しいものを、バカの一つ覚えのようにみんなで信じていた。

いや、信 じ よ う と し て い た。

なぜそんなまぬけなものがまかり通っていたのか?

結論からいうと、縄張り食い扶持 の2つだ。

旧世代の社会では、誰しもが職業という名の縄張りを持ち、縄張りから利益を得て食い扶持とした。


プライドの高い旧世代の専門家に問えば、

「いやいや、①お客さんを喜ばせて②お金をもらっていたんだ。何がおかしい?」 等と抜かすことだろう。

実際のところは、こうである。


①お客さんが何かで困ったり欲しがる

②欲しいものを提供している縄張りを探す。

③その縄張りの中で、マシなところを選び頼んだり交渉する

④価格や品質などはほとんどが「縄張りの基準」(+属人的能力が少々)で決まっている。

⑤トラブルが起きても、満足できなくても、「縄張りの基準」はそういうものだから、といった感じで説明されたり仄めかされたりして終わり。


その縄張りの名は「〇〇屋さん」とか「〇〇士」だとか「〇〇先生」だったりしたが、いずれにしても業界という名の縄張りを形成し、

そこで様々な談合的なものの決め方をしながら、客よりも業界の都合で物事を決め、食い扶持としたことは同じだ。

フリーランスや情報を得る手段などほとんどない時代、

社会はどこもかしこも縄張りだらけ

そもそも旧世代の人間は、実に愚かなことに

「生きるとは、縄張りを選んで、生き残り、食い扶持につなげる

こと」だと、本気で感じ、信じていた

人生には、社会には、縄張りが必要で、縄張りでの処世術こそが人間性で、

人間は縄張りでしか生きられず、一にも二にも縄張りだと。


そういった愚かで間抜けな人間たちは、職場や家庭や学校や、あらゆることを縄張り視点でとらえ、矛盾に気づかれぬよう、自分たちでも気づかぬよう自己洗脳をし、互いを洗脳しあい、教育や道徳と称し、

ありとあらゆる、無駄な語彙や、立ち振る舞いや、儀式等によって、滑稽な正当化を図った。


まあ、それはいい。確かに時代のせいもあるのだから。

ただ、そのような人間が、真の専門家になることなどできるはずがない。

どのような専門家きどりをし、互いに虚飾をたたえ合い、虚像を維持しようとしても、

その真実は、縄張り、地位、他社評価、を最優先した、汚染され腐った思考回路で行ったゴミばかりであった。

そのような環境で生み出されたものは、サルの縄張り合戦の域を出ることはできない。

真実、お客、家族、目の前の大事な相手、そういったものは常に二の次にしたクズばかりがはびこるに至った。


だから、旧世代で本当に価値ある専門的な仕事をした人間は、

ほとんど例外なく早い時期に組織からドロップアウトして、在野で苦しみながら一生をかけて成果を出した人ばかりになった。


今の社会でも、まだそういった社会慣習、思考回路を持ち、

縄張りと食い扶持というスタイルで人生を生きる者がいる。

虚飾が剥がれてもなお、

いつとったか分からんような資格とか

何十年続けただとか、

業界で一丁前に思われているだとか、

広い意味での既得権を利用して、なんとか最後まで生き延びてやろうと。

そういった人間が必ず使いたがるフレーズ それが「専門家」だ。


マーケティング的に、旧世代に媚びてそこから利益を得ようとする若者にもたまにみられるが、勘が鈍いな、と思う。残念なことだ。

これほど自分のことを丁寧に説明できる場がたくさんあるのに、安易に専門家を名乗ることは、もはや恥ずかしいことだと知った方がいい。


真実、お客、家族、目の前の大事な相手、そして自分自身

という真に向き合うべきものから、逃げ続けた人間の末路をなんとかする余裕は、社会にも他人にも、どこにもない。


そればっかりを何十年もやっているから詳しいはず

ーんなわけが、あるかww


反対に、好奇心や行動力、

生き方の幅、知識や知恵の幅、自分への向き合い のすべてが浅く

ロボットのように同じ毎日を繰り返しても

うまく振る舞えば、いつか先生と呼ばれて、ずっと食い扶持を稼げる

そんなズルさと怠惰な生き方が透けるだけだ


これを読んでハッとできたならまだ間に合う。今すぐやめなさい。

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