なんの保証も癖も型もない自然体は、毎回アドリブでいろいろ大変だけど最強最高かつ楽しい。
25歳くらいまでの俺は、何か不安なことがあるたびに、過去の一番の成功を思い出して「俺はあれだけやって、あんなことができたんだから、これも大丈夫なはずだ」みたいな暗示をかけて自分を強化していた。
世間的によくある「自信」の方法論(笑)コーチングでいうところのアフォメーション、あ、アファメーションだった。。やな。
まあこれはこれでなかなかに効果はあった気がする
ただ、毎回毎回自分を強くするために同じことを思い浮かべて奮い立たせるって何度もやってるとなんというか間抜け?じゃないけど、みっともないなーってどっかで思うようになったのはある。
だって、冷静に考えてさ。
勝手に何かにおびえて 勝手に過去の成功を思い出して 勝手に奮い立ってる人って しかもそれをいつもやってる人って ちょっとおかしい人じゃない?笑
いつからか、成し遂げてきたかなりデカいこと(日本一になるとか)が別々のジャンルで3つくらいになってからかな?
逆に過去の成功とかによって自分を支えようとする内的な動きが消えてきて、何をするときも「あれ?俺それ、できたんだっけ?」っていう笑っちゃうような不安?というか丸腰の感覚に戻ってきた。
過去の記憶を使わなくなったのは、癖で動かなくなったということも影響してるかもしれない。癖とか型じゃなく毎回そのときそのからだの感覚で動くようになった。正確には、癖と型は身体で記憶しているが、その利用比率が下がり、毎回そのときそのときの感覚の利用比率が上がった。
そしてその感覚で動くってのは、とても不安定で、毎回感情も情動も、身体イメージも調子も、環境からのインプットもアウトプットも異なってそれを受け取ってリアルタイムで処理して動くので、なんというか全てがアドリブ的なんですよ。どんなに練習してようが、経歴があろうが、実績があろうが、毎回がアドリブ感。
だから振れ幅が大きく安定感がない、しかし上手くいったときアッパーの伸びと上達の速度が桁違いに早い。子供が上達早い仕組みもこんな感じなんだろう。あと、当然できると思ってない分、できたときの毎回の感動が大きい。失敗してもそうなることもあるよなって感じ。
型と癖で動いているときは、逆でアドリブ感がほぼ0、いつもの癖と型どおりに動ければ成功で、そのためには、型と癖を邪魔する情報をカット。アドリブ感を感じ出したら、場に飲まれてて失敗!みたいな。できてもあんま感動しなくて「当たり前!」って感じるし、失敗したら落ち込む。
そうやって並べて比較するといいことばっかりだな。成果を出し続けないといけない堅苦しい場じゃなければww
⇒安定一辺倒の評価基準はうんざりなんですが皆様はいかがですか?
こういう場での成果ばかりが求められるから、型と癖が必要になって朽ちていくのだね。
特に朝起きる度に、自分ができることとかしてきた莫大な過去のことなんて全部なかったような、何も積み重ねてない3歳児のような気持ちで朝を迎えるようになったな。
だから、自分がすごく得意なはずのことも、毎回いちいち子供のような不安な気持ちで向かう。そして大体の場合できるから(当たり前だ!)ほっと安心する。毎日その繰り返し。人から「~得意だよね?」とか「~やってよ」って言われてからあっ・・そんなの出来たなそういえば笑 って思い出す(笑) 過去の自分はまさに「他人ごと」になってしまった。
そしてそこに真実があると俺は思っている。桜井章一さんも同じような感覚をよく説明してて、いつもそーだよなーと思う(しょーちゃん違ったらごめんね)
感覚は逃げる 掴もうとすると掴めない。 ふっとさわることしかできない。
成功の保証はない。 自分に実力があるという思考も怪しい 努力で確実に成功すると考えるのはストーカー
それでも真心でいられれば、結果的に「実力」は逃げていかない。
何の保証もないけれどそう思って生きるしかない。ってね