天賦と生まれつき

天賦≠生まれつき

あまりにも誤用が多いせいで、
多くの辞書にまで「天賦とは・・生まれつきの才能のことで・・」
などと書かれている始末

あまりに多くの人が、
「生まれつき」を渇望し
こだわり、驕り、浸り、評し、
諦め、言い訳をし、語る

これらのせいで、天賦の意が矮小化され、汚され
「生まれつきでいい思いをした~~い」
という意味にまで堕とされてしまった

誤った市場原理主義
誤った多数決
誤った情報伝達 の縮図がここにも。

天賦=生まれつきの才 
ではなく、正しくは

天賦⊃生まれつきの才

文字どおりシンプルに
天が与えた才であって
生まれの事を直接指していない。

純粋な生れつきの才は、天賦のごく一部

人生80年でみると、その中で重要になる
天賦の多くは、後天的な才であり、
生まれの才との関わりで複合的に開発される才である。

そのような根源的な誤解は

上の世代が広めた悪臭漂う口癖と、
そのような体験が身近で無いから 2点にほかならず

口癖がなく、体験が身近にあふれていれば
このような状況にはなっていない

後天的な天賦を体験する機会が身近で無い 
と大勢が感じているのはどうしてか?

2つの要因がある。

①気づけていない
②与えられていない

大枠でいうと、
・若い時ほど①
・晩年ほど②
・①を見逃すほど②になっていく。
・②になると①はほぼ100%なるため、負のループに陥る

①から始まり、②の割合が増え、
負のループから抜け出せなくなり

「神も仏もいるものか」
「どうせ自分なんて」 系

あるいは

「今にすべてに感謝しましょう^^」
「先に笑っていると幸せがきますよ!」 系

こうして、本当に貰えない、届かない、気づかない人なり

つまり、拗ねるか 狂信か、
あるいは 無敵の人 等になり果てる


全ては「①気づけていない」から始まる

そしてそれは あらゆることに共通しており、

社会的にみるとごく小さなものごとである


ありきたりな話として、 
1冊の本に出会って自分の人生は変わりました」 
を例に説明する

(当然だが、聴率や人気取り等で捏造したものを除外

これの本当の意味は、次のように考えてみるとよく実感できる。

この際は、科学的に、合理的に、検証的に、
起こりにくさ/起こりやすさ
を考えてみること。


◆ある日、ふらっと入った本屋で1冊の本と出会ったとき

陳列された本の数(10~100万冊)
そのうち、マイナーすぎるコーナーを除いた数(5~30万冊)
自分が歩き回ったコーナーとそこで視界に入った本の数(1~5万冊)

そこで何かを感じたり、考えたり、ふと思い浮かんだ思考
想念が普段の自分のパターンとどの程度同じで、どの程度異なっていた

自分が手に取った本の数(5~50冊)

手に取る前のイメージ と 手に取った後のイメージ
思ったとおりだったか 期待外れだったか 想像以上のものを感じた

事前知識で判断できるものだったか 
事前知識にないものだったのに、なぜか良いとか悪いと思えた

そうして、出会った一冊を買って帰った


この体験を、例えば以下のように腐したり、
自助努力のおかげとすることもできるだろう。

「まあ、本屋には結構行くしね。(月1回位)たまには当たるでしょ。」
「ハズレもあるでしょ(10冊とか)の内いい本だけ印象強いんじゃない?」

「本を読む習慣があるからだよ。(月10冊位)努力と習慣のおかげ」


こうした一見冷静に見える、「腐し」や「説明」を、
もう一度、確認してみよう。

起こりにくさ/起こりやすさについて
科学的に、合理的に、検証的に。

ー月1回の本屋通いが、どれくらい出会いの可能性を上げるのだろう?
ー10冊中1冊の出会いは、どれくらい起こりがちなことなのだろう?
ー月10冊の読書習慣は、どれくらい出会いの可能性を上げるのだろう?


そもそも、先ほど言語化した「運命の本と出会う体験」において、
起こっていた偶然要素とその組み合わせを見ると分かるように、

起こる確率が、数倍や数十倍に上がった程度では
最終的な生起確率にほとんど影響を与えない

すなわち、
本屋通いが月1が月4になろうが、
読書数が10冊から100冊になろうが、

もっといえば、
視界に入った本の数が1万冊から50万冊になろうがー

ほとんど結果に影響しないのである。

つまりだー


「まあ、本屋には結構行くしね。(月1回位)たまには当たるでしょ。」
「ハズレもあるでしょ(10冊とか)の内いい本だけ印象強いんじゃない?」「本を読む習慣があるからだよ。(月10冊位)努力と習慣のおかげ」

これらの発想、想念 
そのものがまさに

①(天賦に)気づけていない

状態であるということだ。

愚かな 知識と 数字の 濫用
それも、本人らが装う 冷静・合理とは正反対の、

本心で燻る (天賦が与えられないこと等への)
拗ね・不平・不満・苛立ち・憎しみ・呪い

溢れださんそれらを封じた偽装の言葉であり、

あるいはそういった言葉と同調することにより、
発せられたものなのである。



戻ろう。
起こる確率が、数倍や数十倍に上がった程度では
最終的な生起確率にほとんど影響を与えない

これを平たく一文字にすると 「運」ということになる。

そしてこの場合は「幸運」であり、
これが後の人生に大きな好影響を与えたならば
それはまさしく天賦以外の何物でもないということだ


このようにして、人は 天賦と出会い
天賦を見落としているということが分かっていただけたと思うのだが、

天賦に気づけるようになるコツ
その第一歩とは、


「今にすべてに感謝しましょう^^」
「先に笑っていると幸せがきますよ!」 系

に飛躍する必要などまったくまくて、

もっと真っ当で学問的なもの
十人が十人納得できるもので十分で、
それを徹底するだけでよく、

シンプルなそれができないということは、
逆説的に本心で燻る (天賦が与えられないこと等への)
拗ね・不平・不満・苛立ち・憎しみ・呪い
の根深い存在を暗示していて、

それまでの人生の数十年間で
見落とし、蔑ろにし、驕ってきた何かと、
それによる負のスパイラルと、
深い逆恨みと、

同時に向き合う必要があるということです。

いつも書いてることとおんなじですね。おわり




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