日本で起こっている老朽空き家問題への考え方と対応方法。現実をみろ。そしてこうしたらうまくいく

まず、昭和の時代に建てまくった年寄りに告ぐ。

お前らの家に異常なほど価値を感じているのはお前らだけだ。

その家に内心色々な思いを抱えるのは否定しない。それも人生の素晴らしい大きな実に違いない。家には色々な思い出があるよな?わかるよ

だが、ひとたび関係のない人様にとってはそれはただの薄汚れたボロイ家、替えの効く住みかのうちの一つ、その汚れは素晴らしい年期というより、ほとんどの場合妙な情念さえ感じる薄気味悪いもの、

それは昔よくニュースで人々の笑いものにされていた、全国のゴミ屋敷おじさん、おばさんの、ゴミを宝と思いこむあの滑稽な精神性とほぼ同質である。

そんなものなんだよ。断じてそれは「資産」ではない。笑

景観としても内観としても間取りもデザインも雰囲気もマイナス。むしろ更地のほうが・・ という 

薄 気 味 悪 い    周 囲 に 負 を も た ら す 構 造 物

一番見たくない現実だろ? まずこれを腹の底から理解しろ。

だから、いざ住めなくなったとき、住む人がいなくなったときにさ。どうしていいかわかんなくなって不動産屋に駆け込んで、思ったより安い値段で気分が悪くなって、意固地に高めの値段で賃貸に出して、結局誰も住もうとしなくて、そのまま投げやりになって放置して、いつしか臨終が来て、相続した遠隔地の子供が適当にたて壊して、土地売って 終わり 

これがいまどきの「スタンダードな」地方の家の終わり方

悲しいね。少なくともうちの直系家族はそうではないけどね。大勢で集まるたび見渡すとそうなりそうな気配がする親族も多いと感じるね。

これはひとえに心のつながりや見えないものを共有できない家族がいまだに多く、結局都会の狭くて物寂しいコンクリートで区切られた賃貸でさえ、田舎で育った家よりなんだかんだマシだとみんな感じているからだ。

勘違いしてほしくないのは、昭和とかそれ以前の家族が立派だったのでは決してない。彼らもほとんどの場合いやいや形式的に家を守っていたのだから。そのころよりはまだ今のほうがましだよ。


今からでもいいからできるだけ綺麗に使え。自分の臭いを染みつけるのもいいけど限度がある。なんというか君たちの年代の生活ってグロいんだよ。臭いとか情念が染みついている。そういうものが臭うから誰も住まなくて取り壊しになるしかないんだよ。わかった?わかったら今からでも綺麗に使いなさい。物理的にも精神的にも。

そして臭いを染みつけてしまった自覚があるなら、安くてもいいから分相応に誰かに使ってもらえ。特にお金のない若者には金銭度外視でいいから気持ちよくつかわせてあげたらいいじゃないか。あと、子供がいる若い夫婦とかもさ。そうやって自分の気に入った人でもいいから、自分の家が誰か新しい世代の助けになれば気持ちよくないか?変な念とかもかなり浄化されるぞ?信じるかわからんが家も長持ちしたりするぞ?

その際、近隣の相場とかせこいことを考えるな。どうせ大した額にはならん。固定資産税賄えりゃ十分だと思っとけ。

不動産屋は手数料の兼ね合いがあるから、最低価格のようなものがどうしても発生して、それ以下ならめんどいからいいや、ってことである程度の価格を設定する。だが、それは本当の相場じゃねえんだよ。それ以下だとメンドイから来なけりゃ放置でいいやってことでそうしてるだけ。だから自主的に家に電話番号書いた張り紙でもして募集したりしな?

そういう風潮が当たり前になれば、若者はすごく安心感が出てくるさ。

気に入った街で探せば誰かがほぼ無料で家を提供してくれる。そういう気持ちとセットでようやく薄気味悪さが帳消しになるかもしれない。

若者からしたら、なんならちょっとした親戚のおじさんのような温かさを感じるでしょ?地元のそういう人の支援を感じたら初めての土地での心細さもだいぶ減るよ。そういう一種のコミュニティーというかインフラとしてもう気前よくボロ家を解放しようよ。

若者が田舎でも4万とか都会だと10万とかの家賃で苦しんで貴重な若い時間を削っている現実があるわけだよ

そしたらいずれ壊されるだけのゴミが、宝になるじゃんか。

分かったらチンケな賃貸料で自分らの価値を測ってねーでそういうことをやっていけ。以上。

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