人体のあらゆる動きの基本は「引っ張り」であり「押す」ではない。
構造的にそうなっているから。
人体は、骨のフレームによって張力の余地をつくり、そこに弾性のある筋などが張り巡らせれている、センテグリティー構造といえる。
つまり、筋肉は必ず、身体を縮ませる方向で作用する。
それは筋肉組織に自分から伸びる機能がないことからもわかる。
縮む動きの方向や位置関係を様々に変化させることで、「押す」といわれる動きや、その他さまざまな動きができているように見えるわけだ。
ここで確認しておかなくてはいけないのは、いかなる見た目の感じにかかわらず、それらは「縮む」「引っ張る」の派生形であって、「押す」という概念と対ではないし、ましてや対等でもないということだ。
それは何でも二元論で片づけたがる人間が、言葉ファーストで覚えた対語のまやかしであって、身体・物理の真実からすると、「押す」をはじめ「縮む・引っ張る」以外の動きは2次的・表面的な概念でしかないということ。
こういうことを心底分かっていないと、「押す」という動作が「引く」と対等だと思ってしまい、それがいつのまにか身体でも当然に表現できると思ってしまう。
ところが、現実・物理空間はそうなっていないから、それは明確な間違いだから、「あれ?なぜか力が弱いな」ということに陥る。
例えば、ピッチング投球動作やパンチの動作などで顕著に表れる。
あれが「押す」だと思っている者と、「引っ張り」の方向を変えたものだと感じている者では結果に天と地の差が表れる。気休めの練習などでひっくり返せるレベルではない差が。
こういうちょっとしたことが、あらゆる動作やスポーツの予後を決める。
こういうことは他にも人生の色んなことに当てはまることに気づこう。